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テーマ:中国&台湾(3303)
カテゴリ:中国
続きです。別にオチがあるわけではありませんので、期待しないでご覧ください。さて夜の11時ごろ出発予定の昆明行き特快を桂林駅の待合室で同行者(この時点では3名)と待っていました。ちょうど他にアメリカ人の学生3人(日系人男女1名ずつ、白人男性1名)が同じ汽車を待っていたので彼らと適当におしゃべりをして過ごしていました。今思うと、この待合室は外国人専用の待合室だったかと思います。周りに中国人がいた記憶がありません。 ちなみに切符はこんな感じでした。 裏はこんな感じ。 当時の切符は、硬い切符の裏に乗車する汽車の番号を書いた紙を貼り付けるか、またはスタンプで押すかどちらかの形をとっていたと思います。貴陽駅で乗り継いだことを示す紙が貼ってありますが、これは普通に乗っていれば貼り付けられるものではありませんでした。 その先に起こることも知らず、呑気に待合室で待っていると、1時間遅れくらいでようやく汽車が到着する旨、連絡がどこかからありました(駅員が言いに来たのか、掲示板が出たか覚えていませんが、少なくとも電光板のようなものはありえません)ので、同じ汽車に乗る他の大勢の中国人客と列に並びました(日本のような整然とした列は思い浮かべないでください)。 汽車がホームにゆっくり入ってきました。並んでいた位置(ホームの外です)から乗車位置までは100m以上。入口が開放されると周りの中国人客が大量の荷物を抱えながらも一斉に全力で走り出します。我々や米国人客はあっけにとられ、状況がつかめないまま、我々もとりあえず走りました。でもどこが「硬座(自由席)」の乗車位置なのか全くわかりません。何がなんだかわからないまま、殺到する中国人と一緒にドア(手動)付近に走ります(ちなみにホームは車両よりかなり低い位置)。周りはドアに殺到してもみくちゃになっている客のほか、開いている窓から無理やり車内に入り込む者、車内に目を向けると別に帰省ラッシュ時でもないのに長距離列車とは思えないほどの満載になった客の数、激しい怒号、この生き地獄のような様子を見て、我々4人と米国人客3人は完全にあっけにとられ、そうこうしている間に乗れない客を無視しつつ汽車は発車してしまいました。我々はホームに取り残され、しばし茫然とその場に立ち尽くしました。 自由席とはいえ、汽車に乗れないということは全く想定外でした。まだ中国に入国して1週間も経っていないのにこのあと1ヶ月近くどうしたらいいのか途方にくれました。我々はしかたなく駅舎にもどり、確か怒り狂う米国人客とともに他にどういう方法があるのか、駅員に罵声を浴びせつつ、何とか5時間後に到着する途中の柳州(広西チワン族自治区)まで行く汽車があることがわかったので、これに乗ることにしました。 でも次の汽車に本当に乗れるのかわかりません。切符をもっていても、客の数が常にオーバーフローしているので乗れる保証がないので、不安なまま同じ待合室で今度はほとんど無言のまま汽車が来るのを待ちました。すでに真夜中ですが、眠るほどの余裕もなく、未明の4時ごろに到着する汽車を待ち続けました。 やがて、また汽車がもうすぐ到着するという知らせが来ました。我々はさっきと同じ轍を踏んではならないと緊張しながら、汽車が入線してくるのを目にしました。今度は絶対に乗ってやる、と悲しい決意を胸に汽車に向かって100mくらい全力疾走で走ります(私は足が遅いうえに足ももつれ、遅れをとりました)。汽車の周りはさっきと同じように大量の中国人客。車内もすでに満員。それでも今度は何とか無理やりドアに体をねじ込み、背中に背負ったリュックの圧力で窒息しそうになりながらも、我々4名と米国人学生3名は車内に押し込まれました。 とりあえず乗れたことで一瞬ほっとしたのもつかの間、車内を見ると通路に折り重なって横たわる乗客、網棚の上で寝ている乗客、さらに窓からも乗ってくる輩、ひまわりの種、食べかすなどの多量のゴミがちらかった床、便所から垂れ流されているナゾの液体。これは正直言って家畜が無理やり押し込まれた状態と変わらないのではないかと思いました。両親から戦後の買出し列車というのは大変だったんだよね、という話は子供のときから聞いていましたが、きっとそれよりもひどい状況なのではないかということが頭をよぎりました。 それでも何とか横たわっている客の間に無理やり体を入れ(混んでいるのは事実ですが、みんな自分の場所を決めたら譲らないのもこうなる一因)、もうすでに肉体的にも精神的にも疲れの極地に達していたので、体育座りのような形で床に座りました。となりに寝ていた老人(女性)は死んだように寝ていましたが、これがまた臭い。一度乗ってしまうと人が多すぎて動けず、場所を少しでも移動してしまうとすぐとられてしまうので動こうにも動けず、したがってトイレにも行けず、こうなると垂れ流ししかないわけです。 そんな苦しい形でスピードも出ない汽車に押し込まれた状態で7時間くらい、眠れず、トイレも行けず、食事もできず、この汽車の終着、柳州駅に昼前くらいに辿り着きました。まだ昆明ははるか遠く・・・ 人気blogランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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