|
テーマ:中国&台湾(3303)
カテゴリ:中国
まだ続きます。桂林~昆明間は当初乗れるはずだった直通の特急列車で行っても車中2泊だったわけですが、これを途中2回乗り継いで行くはめになったので、車中3連泊になってしまいました。もちろん、新疆方面に行く場合などは4泊とか5泊かかりますし、チベットに陸路で入った方などはもっと大変だったでしょうから、それらを経験した方に比べればこの程度は大したことはないのかもしれません。でもほとんど汽車の中でまる3日近く動けないで過ごすというのは相当辛いです。それに輪をかけて下手に場所を動こうものなら、その場所を掠め取って微動だにしない輩がいるために、トイレに行くのも最低限(同行者がいて場所を押さえてもらったので助かりました。一人だったらどうなったことか)の回数、食事も弁当を売りにくるわけでもなく、途中停まった駅で窓から手を伸ばしてゆで卵を買うくらいのものでした。 柳州で数時間過ごしたあと、次は貴陽(貴州省)行きの汽車に乗りました。このときは運よく「対号(席あり)」の切符がとれました。しかし、自分たちの席であるはずのところには先に占領している輩がいて、いくら言っても無視するばかりで動く素振りも見せません。こちら側は4人いましたので袋叩きにするぞといったような態度で圧力をかけるとやっと動きましたが、上で言ったように隙を見せればそのほかにもたくさんの「無座」の客がいるのでいつ席をとられるかわかりません。席自体も木製そのものでクッションなどなく、背もたれは直角ですわり心地は最低。常に警戒していないと何をされるかわからないので緊張感が続き、精神的に落ち着く余裕はまったくありませんでした。 柳州~貴陽間は車中泊で翌日の午前中に到着。駅で昆明までの切符を何とか手配し、列車の発車まで5時間くらい駅で待っていました。ここは貴州省の省都ですが、観光地でもないので外国人はほとんど来ないためか外国人用の待合室などはなく、だだっ広い駅のホールの床に座って時間をつぶしていました。そうすると、我々のところに障害者の浮浪児が物乞いにやってきました。同行者の一人がよせばいいのに、日本の5円玉をその子供にやってしばらくすると今度は老人女性の物乞いが近づいてきました。そうこうしているうちに我々の周りにはいろいろな障害を持つ物乞いが10人以上集まってきて、取り囲まれてしまいました。これはやばい、と思った我々は走って退散しましたが、そもそもそういう人たちが集団になって少しでもカネを持っていそうな人間がいると数の圧力で攻めまくるパターンのようです。 こういう光景は今でも多くの都市であると思いますが、当時の中国はこてこての社会主義であったはずなのに、なぜこういう人たちが誰からの庇護も受けず、こんなことでしか生活ができないのかとわかって、この国は絶対にどこかおかしいと思いました。 貴陽駅の待合室では他にもさらに、たくさんの人がいるど真ん中で子供に小便をさせる輩もいたりなど、最悪の都市という印象が残りました。今でも貴州省は中国で最も貧しい省ですが、どの程度改善されているものなのか、行きたくはありませんが少々関心はあります。 そんなことで貴陽~昆明間もさらに車中泊で、まる3日かかって昆明にたどり着きました。この3日間ほとんど飲み食いもしなかったので、昆明で体重を量ったら5kg痩せていました。ダイエットしたい方は中国で「硬座」に乗って3泊ぐらい車中泊をされることをお奨めします(ウソ)。 昆明以降は、もうこのような地獄絵図は見たくなかったですし、そもそもバックパッカーといっても修行に来ているのではなく遊びに来ているのだからカネを使うべきところでは使えばいいじゃん、と思って原則一等寝台「軟臥」で通しました。物事は柔軟に考えないといけないということを学びましたし、最悪の状況を最初に経験しましたので、後の行程はある意味快適に過ごせた印象が強く残っています。 あまりオチもなく、文章だけになってしまいましたので面白くない話かなとも思います。でも私としてはこの3日間の経験がその後の中国に対する厳しい見方の始まりということでいまだに忘れられない最も印象深い最悪の思い出だったというわけでした。今は物質的には豊かになりましたが、人心の面ではそんなに変わっていないような気がします。この国が自分の国の国民を大事にするときが来るのはいつのことなのか、依然として憂いを感じています・・・ 人気blogランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[中国] カテゴリの最新記事
|