一貫性のない昔話が続きますがお許しください。9月27日の日記に85年3月韓国側から板門店に行ったときのことを書きましたが、そのときの主要目的地のひとつだったソウルとその近辺の写真を少々。
ソウル市庁前。このときはソウル五輪前だったのですが、建設ラッシュはまだ始まっていなかったように思われます。
そのソウル市庁前から数分のところにあったこの旅館にいきなり行って宿泊しました。ハングルでは「大祐旅館」と書いてあります。温泉マークが怪しいです。オンドル付きの小さな部屋にピンク系の布団があり、恐らくいろいろな用途に使われるところだと思います。1泊1000円ちょっとだったかと。
これは床屋のマークが日本と同じだったので感動して撮ったものと思われます。基本的に韓国は良きにつけ悪しきにつけ、日本のものを参考にして作っているもの、完全な影響を受けているものがほとんどで、ハングルでなく漢字で書いてあれば、街中の雰囲気はほとんど日本と変わらないと思いました。
ソウルから電車で水原(スウォン)というところまで行きました。これも見た目日本と変わりません。
水原駅です。
これが水原駅のあたりで生まれた初めて食べたビビンバ。このころの日本はまだ韓国料理はそれほどメジャーではなく、特に学生の分際ではそんな高価な食事はできなかったので、結構感動しました。
こういうのを見ても、「なんだ、日本と同じじゃん」と思って感動しました。日本語的に書けば、「仁川5 た 6451」となります。
水原に行ったのは、この民俗村に行くためでした。ここは昔の韓国の文化、建物が展示されており、日本で言えば明治村のようなところでしょうか。
こういうのを見ても感動しました。ハングルで書いてある以外は日本と同じ。ソウルの明洞(ミョンドン)のマクドナルドで撮ったものと思われます。
ソウルのシンボルともいえる景福宮(キョンボックン)。
景福宮にいた子ども。この子たちも今は20歳を過ぎているわけで、私もおやじになったものだとつくづく感じます。
このころは韓国もまだビザを取得しないと行けませんでした。でも中国とは違って格安で数万円で行けましたので、こんなに近くに簡単に行ける外国があることにあらためて感動もしました。当時は今のような韓流ブームなどは影も形もなく、旅行先としても特に人気があるようなところではありませんでした。また韓国さまも今のような反日ムードなどはほとんどなく、旅館のおばさんたちもとても親切だったこと、物価が極端に安く1000円も払えば焼肉をたらふく食べられたりしたのでとても良い印象でした。そのころから中国さまの特殊性をより強く感じ始めたような気がします。
あまりぱっとしない内容になりましたが、また次のネタを探しに倉庫をあさりに行きます。では。
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