今日からは先日の連休に行った紅葉ドライブ・道の駅めぐりの新潟・中越編です。今日は真面目にいきます。もともと新潟の長岡まで行ったのは、ちょうど2004年10月23日の中越地震からまる2年が経過したニュースをテレビで見て、なかなか被災地を直接自分の目で見る機会がないので、どのような状況にあるのか一目見たかったことによります。東京もいつ大地震が来るかわからないし、ひとごとではないと前から思っていました。また、2年も経つとあまり報道もされることがなくなるので、私なんぞの力ではどうにもなりませんが、現状をもっと広く知らせたほうがいいのではとも思いました。
最も被害が激しかった旧・山古志村は、2005年に長岡市に合併されています。山古志に行く前に、長岡市内・市街地に近いところにあることを聞いていた仮設住宅のところまで行きました。長岡市西部の「長岡ニュータウン」の敷地に仮設住宅の一部が建てられています。
朝だったので閑散としていました。かなりの方が山古志に戻られているようですので、仮設住宅の規模はすでに小さくはなっているようです。
ここが正面の入口のようです。「虫亀」とは一体何でしょうか。
この後、長岡市街地から高速に入り、南に数十km行った小千谷ICで下ります。小千谷市内からの道路はまだ多くのところで復旧工事が行われていました。小千谷市の東側にある山古志へ向かいます。
すでに旧山古志村に入ったようです。この標識を見てわかりましたが、ひとつ前の写真の「虫亀」というのは集落の名前だったようです。私はまっすぐ「山古志」という方角に向かいましたが、「虫亀」地区はきっとまだ復旧に時間がかかっているものと思われます。ちなみに山古志には「道の駅」はありません。
前を走る工事車両の列。このずっと先でトンネル工事もやっていたようなので、復旧工事関連の車と合わせて土曜日の午前中ですが交通量はそれなりにありました。このあたりの幹線道路はすでに全く問題ありませんが、道端には倒壊した家の瓦礫も一部残っていました。
山の頂上のようなところにある旧山古志村役場、現在の長岡市山古志支所に到着しました。
これが山古志支所の建物。庁舎には全国からの支援に感謝する内容の垂れ幕が下ろされていました。ちょうどこの日の前日、山古志の伝統的な祭事である「牛の角突き」というのが開かれていたようです。
支所から見える景色です。山古志は基本的に起伏の激しい山の中といったところにあります。遠くが見渡せるところが随所にあり、景色のとてもきれいなところです。でも、真冬、雪深いときはなかなか大変なところだと思いました。
これも支所からの景色ですが、視界が開ける感じです。下の方にダンプカーが見えますが、このあたりは相当な土砂崩れがあったものと推測されます。支所からずっと先の道はトンネル工事などで通行止めになっていましたので、ここから引き返し山を再び下ります。
途中の道で車を停めて一枚。素晴らしいところだと思います。
山古志は鯉で有名なところですが、道すがらこのような養鯉業の建物をたくさん見かけました。
山古志が長岡市に合併されて良かったのかどうかはわかりませんが、広域市の一地区になってしまうと、名前が出てくることが少なくなるような気もします。写真では一見もう何も問題ないようにも見えます。でもまだ仮設住宅に住む方たちがいることも事実ですし、長岡方面になるべく足を運んで税収増に貢献するくらいしかできませんが、微力ながらどこかで役に立てないものか、自分なりにいろいろ考えていきたいと思っているところです。
ちょっと重くなりましたが、次回はいたって軽くなります。ではおやすみなさいませ。
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