中3の姪が来春高校受験なのですが、姉からインターネットでいくつか都立高校の情報を調べてほしいといわれたので、この前の週末ためしに調べてみました。しかし、最近は都立高校といえども、各校ともきれいな写真入りのホームページをもっており、あらゆる情報が載っているといった感じなんですね。学校の施設、クラブ活動などの写真もなんでもあり、私が受験のころなどは本で調べるくらいしかなく、行ってみないと何もわかりませんでしたが、時代は変わったものだとあらためて思いました。少子化の時代でもありますし、各校の競争が激しい時代ですから、そうでもしないと生徒が集まらないから学校も必死なんですね。
ちなみに、私が都立高校を受験したのは今から28年前、1979年だったのですが、そのころ東京都は自由に好きな学校を選べない、学校群制度というのがありました。私の住む板橋区は文京・豊島・北・板橋の4区が「第4学区」という大きなグループになっていて、その中で3校前後が「群」としてレベルごとに小さなグループ化され、受験生はその「群」を受験するというシステムでした。私の受けた「42群」というところには3校あったのですが、そのうちひとつは自宅から徒歩10分以内でいけるところにありました。通っていた中学校に特例として申請すれば、必ずそこに行けるという中学の先生の言葉を信じ、事前に申請書を出したうえで「42群」を受けました。
しかし、合格発表の日、その一番近い学校のところでなく、3つのうち一番家から遠い学校のところに自分の名前がありました。「42群」を受けたのは10数名いましたが、家から近くの学校に行けたのは3人くらい。ほとんどがその他の2校に回されてしまいました。中学の先生の言葉を信じていたのに裏切られたように思いました。
ちょうどこの翌年だったかと思いますが、「江川事件」というのが起きました。ドラフト前の「空白の一日」を使って、江川投手が巨人に入団を決めてしまったあの事件です。「空白の一日」自体は認められなかったものの、結局阪神とのトレードで巨人に入団してしまったわけですが、自分は行きたい高校すら選べなかったのに、ごり押ししてこういうことが大人は許されるのかと、当時憤慨したことを覚えています。
てなわけで、このころから反骨的素養が強化されてきたのかもしれませぬ。。
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