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カテゴリ:アフリカとマイナーな国たち
昨日の1990年8月の香港に続いて、そのあとは当時ほとんど関心を持つ人がいなかった国(今もでしょうが)、ブルネイに行きました。このときの旅行はここブルネイに行くことが目的でした。当時から天然ガスが豊富に出ており、金持ちの国として有名ではありましたが、それがどこにあるのか知っていた人は少なかったと思います。 ブルネイの話は昨年8月3日の日記でも書きましたが、写真が手元になく文章だけでした。1年越しで写真が出てきましたので、再度1年前の文章の一部を以下に引用します。 --------(ここから引用)-------- そういう流れで、ブルネイに行ったのは1990年の夏。ちなみにブルネイはボルネオ島の北側マレーシア部分の真ん中上あたりにある、人口100万に満たない小国(確か私の住む板●区の人口と同じくらい)です。でも、この国は天然ガスなどの資源で潤っていて、世界有数の金持ち国家と言われ、ここの国王(ボルキア国王)は世界最大?の大金持ちということで有名です。国王は親日家でもありお忍びで来日しては、銀座のデパートのワンフロアを借り切って品物を丸ごと買っていくという噂も当時からありました。 90年ごろはこの国は英国から独立してそう年数が経っているわけではなく、あまり知っている人もいませんでした。当時「地球の歩き方」マレーシア編の中の3ページくらいの情報だけを頼りに、香港でチケットを買ってマニラで乗り継ぎ、ロイヤル・ブルネイ航空(機内のトイレの便座が金でできているという噂がありましたが、さすがにそれはなく、でもドアの取っ手は金箔だったかも)に搭乗、一度マレーシアのコタキナバルでワンストップしたあと、ブルネイの首都バンダルスリブガワンに到着しました。ここは完全にイスラムの国なので、酒などの持ち込みは禁止、空港で荷物を開けられたかと思います。空港内の表示はアラビア文字(マレー語をアラビア文字で書いているのか、アラビア語そのものなのかわかりません)と英語。ちょっと異質な雰囲気を感じました。当時は観光で来る客など皆無だったようで、空港のタクシー乗り場も閑散としており(この国の人は基本的にみんな車をもっている。ほとんど高級車だったかと)、数台しかいないタクシーを見つけて、一応予約を入れていたホテルに向かいました。 首都と言ってもたいした大きさではないので、歩いていける程度のところに一応観光スポット的なところがありました。3泊したのですが、はっきり言って行くところがあまりなくて暇な時間が多かったです。市内には大きなモスクや水上集落(カンポン何とかといったはず。ちょうど大規模な火災があった後だったので、黒こげになった集落あり)が有名のようです。水上集落は陸地からかなり離れたところにもあり、陸との間を猛スピードの無数のモーターボートが結んでいます。モスクは大理石が使われとても美しく、かなり大きなものでしたが、確かムスリム以外の人は入れないということで、入口から中を覗いただけだったかと思います。街中には「チャーチル博物館」というのもありました。チャーチルとは第2次大戦時のイギリスのチャーチル首相のことですが、なぜチャーチルの博物館がブルネイにあるのかいまいちよくわかりませんでした。そのほか、やや中心部から離れたところには当時アジアに急拡大する前の「ヤオハン」もありました。 基本的に街中を歩いている人はとても少なく、みんな車で移動するのが当たり前で、夕方の小学生の下校時などは、子供を乗せた車で道路は結構混雑していました。この国、今もそうだと思いますが税金はなし、医療なども無料で受けられるという社会保障も万全だそうです。労働者は周辺の国から出稼ぎに来るので、ブルネイ人は適当にのんびり暮らしている感じでした。ちなみに、ここにも華僑の人たちが結構いて、中国系のレストランなどもありましたが、大陸の人とは違ってとても穏やかな雰囲気でした。 --------(ここまで引用)-------- ということで前置きが長すぎましたが、ちょうど1年前の日記とほぼ同じ順番で写真も並んでいます。こちらのアルバムで是非ご覧ください。どこだかわからない写真も何枚かありますので面白くないかもしれませんが、ご了解くださいませ。 そんな写真は見ている時間がないという方にはこのモスクの写真をどうぞ。 今後ともブルネイをどうぞよろしくお願いいたします。。 人気blogランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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