明日の朝は長野で北京五輪の聖火リレーですね。いったいどうなるんでしょうか。
さて、今日は「聖火」という言葉で思ったこと。中国語で「聖火」は、そのまま「聖火Sheng4huo3」という場合もありますが、最近の報道を見ると圧倒的に「火炬huo3ju4」という言い方が多いですね。「火炬」は「たいまつ」という意味で、必ずしも「聖火」という意味にはならないので、「オリンピック」の意味の「奥運」をつけて「奥運火炬」といったりしている場合も多いです。「聖火リレー」は「火炬接力」が一般的の言い方のようです。
そこで思ったのは、日本人からすれば、「聖火」はあくまでも「神聖な火」ということで、その尊厳が感じられる言葉ですが、「火炬」だと単に「火のついた棒」のような感じで、神聖さが感じられません。そのあたりが中国人の「聖火」に対する意味の履き違え、そもそもオリンピックというものが何のために行われるものなのか正しく認識されていない現れのような気がしてなりません。独善的な今の中国の世界各地での動きは、「神聖さ」と正反対にあり、「聖火」の本質的な意味が全く理解されていないように思います。
中国語で「オリンピック」は、音訳から「奥林匹克運動会」、略して「奥運会Ao4yun4hui4」というのが普通です。日本語では漢字で「五輪」と書きますが、この字を見れば、オリンピックの精神である五大陸をスポーツで結ぶという意味がわかりやすいです。中国語の「奥運会」では字ではオリンピックの精神など全く伝わってきません。こういうことも「火炬」と同様、オリンピックの意義を勝手な中国的考え方にすり替えられる要因のひとつになっているような気がします。
聖火が各大陸を回るのはあくまで五輪の聖なる精神をつなぐことなんだろうと思いますが、今の状況はチベット問題を逆ギレ気味に利用した中国の国威発揚の場になりつつあるように思います。その裏側にはこのような中国語の表現が貢献しているな気がしてなりません。
明日は無事に聖火リレーが終了することを願うのみです。。
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