薩摩遠征その6です。まだあと2回くらい続きます。
2日目の朝ですが、すでに風呂には3つ入っております。。
イッシーの池田湖から北上、10:07指宿市の山側を通る指宿スカイラインを通ります。錦江湾方向がよく見える素晴らしい眺望の道路でした。
10:15、途中に千貫平という展望台があったので、しばし休憩。曇ってしまいましたが、西方向には開聞岳がよく見えました。
東方向には指宿市内、錦江湾と大隅半島。朝まではあの出っ張ったあありの少し手前にいたわけでございます。。
下の白いのは雪です。
雪と開聞岳のコントラスト、なかなかです。先週末はこんな感じで鹿児島は東京よりもずっと寒かったです。
さて、このあとは知覧というところに来ました。この地名をみなさまはご存知でしょうか。第2次大戦中の特攻隊の出撃基地があったところです。ここからは少しトーンを変えます。。
10:44、知覧特攻平和会館です。中には特攻隊員としてここから飛び立った数多くの兵士の遺言、あるいは最後の肉親あての手紙の実物や複製が数多く展示されています。いくつか、それらを読ませていただきましたが、思わず涙を流してしまいました。周りにも鼻をすすったりする人がたくさんいました。当時10代後半から20代前半くらいまでの若い兵士の純粋さ、あるいは表向き強がっているがまだ死にたくない気持ちが伝わってくる手紙の内容に圧倒されました。この日も結構たくさん観光客がいましたが、薩摩方面に観光に行く際は、日本人としてここを見るのは必須だと思いました。この前、別の本でも読みましたが、あの時代大局が見えず近視眼かつタコつぼ状態の一部の連中が無謀な戦争に走り、この知覧から飛び立った特攻隊も含む300万人以上の日本人を死なせたわけです。今も身近に、そういう視野狭隘で自己中心な輩がたくさんいますが、結構共通点を感じることが多いです。私は反戦とかのステレオタイプな観点でなく、責任ある立場の者が周囲の動きが見えなくなって適切な判断ができなくなっている状態に憂慮しているわけでございます。。
展示内部は撮影禁止でしたので、外にあったものを。これは当時の兵士が寝泊まりした兵舎を復元したもの。
特攻用の飛行機も展示されていました。
慰霊の鐘です。短時間でしたが貴重なものを見せてもらいました。。
これは知覧の観光マップ。戦争中、日本軍の関連施設はこの周辺にたくさんあったようです。
さて、知覧は戦争関連以外にも、武家屋敷でも有名です。あと知覧茶もこのあたりでは高級茶として有名のようですね。11:33武家屋敷の入口まで来ました。
この通りにこういう屋敷が今もそのまま残されていて、一部は内部まで開放されています。知覧はかつての琉球貿易の拠点のひとつだったようで、沖縄の雰囲気を感じるところもありました。
屋敷の中の庭園です。昔の武士はいいところに住んでいたんですねえ。。
武家屋敷が並ぶ通りはこんな感じ。
中には今も普通に人が住んでいる家もありましたが、うらやましいですね。。
さて、その後は鹿児島市内へ。12:14、これは市内手前にあった土産物屋。薩摩城という名前ですが、本物の鹿児島市内のお城、島津家の鶴丸城にはこんな天守閣はないんですよね。。また明日に続きます。。。
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