欧州レポート(5)、17日(日)はドブロブニクから日帰りでボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルまでのツアーの日。
朝、部屋から見える城壁の景色。
テラスに出てみました。朝は爽やかな風が吹き、涼しくて嬉しいです。
手前の紫色の花にピントを合わせてみました。
モスタル日帰りツアーには、5月末ごろに日本からネットで探したサイトから予約。往復のバスとモスタルでの一部ガイドツアー(英語)とフリータイムという内容で、日本円で6000円程度ととてもお得。ネットのおかげで本当に便利になったものです。8時すぎにロープウェイ乗り場前に迎えの車が来て、他の客(20人くらいいたでしょうか)とともに別のホテル前から大型バスで出発。写真はその近くのドブロブニク新港。
新港近くのドブロブニク橋の近くの景色。
こちらが橋の全景。
眼下に停泊する大型客船。
バス右側の席をとってしまったのが失敗でしたが、途中まで左側にアドリア海にたくさん浮かぶ島や半島を観ながら西方向へ走ります。万里の長城みたいな遺跡がみえます。
クロアチアの飛び地であるドブロブニクからボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルに行くには、2回国境を越えます。ボスニアがアドリア海に接する唯一の街ネウムの手前で1回目の国境を越えます。
国境の検問所。ここは比較的車もすいていて、高速の料金所みたいな感じ。国境越えはいつも感動しますが、陸路の国境は特に嬉しいです。
ネウムで最初のトイレタイムになったドライブインからの景色。ネウムのある海岸線20km部分がボスニア唯一の海岸線。
ここはボスニアが港を作るために海岸線を要求したからというわけでなく、歴史的にはオスマン帝国とかオーストリア=ハンガリー帝国の勢力範囲を分けるための緩衝地帯として設けられたらしいです。
対岸はクロアチアの半島。
細長い湾の先にアドリア海があるという位置関係。
こんなところです。
建物の階下にスーパーがありましたが、何故かこれらの国旗が。ここはクロアチアの通貨クナがそのまま使えます(ボスニアは「兌換マルク」というかつてのドイツマルクと固定レートになっている通貨を使っています)。
ネウム対岸のクロアチア領にはクロアチアのチェッカーの印。
アドリア海方向をアップ。このあとネウムを出発、再びクロアチア領内を走ります。
再びボスニアとの国境のすぐ手前に来ました。この小屋は国境警備関係者の小屋の模様。通過中の道路は、ボスニアのサラエボ方向への幹線道路のようなので、国境手前で長蛇の渋滞になっていました。
ボスニア・ヘルツェゴビナの看板。ボスニア語はラテン文字とキリル文字の両方を使います。ちなみに、ボスニア・ヘルツェゴビナというのが国全体の名称で、かつてムスリム人といったボスニャック人とクロアチア人で構成される「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」とセルビア人の「スルプスカ共和国」の二つから成り立っているという複雑さ。前者がラテン文字を使い、後者がキリル文字を使っています。この地域の難しさが改めてよくわかります。
さらに国名の看板。
その先にボスニア側の検問所。ここで同乗のガイドがツアー客のパスポートをまとめて手続きを行っています。ツアー客だからなのか、パスポートにはスタンプは押されませんでした(ボスニアはシェンゲン協定非加盟かと)。
ここがボスニアとクロアチア間の中間になる建物のようです。
こちらが背後のクロアチア側の検問所と思われる建物。
国境から北上、モスタルに向かう途中の車窓の景色。
田舎の景色ではありますが、家はみんな結構立派です。
モスタルの前にトイレタイムでポテチリという遺跡のある小さな町で停車。
これはモスクっぽいですね。モスタルはイスラムとキリスト教の接点の街ですが、ここもそんな感じのようです。続く。。