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欧州レポート(6)、17日(日)のボスニア日帰りツアーの続き。あと30分くらいでモスタルという位置にあるポテチリのトイレタイム。
地元の民族衣装が美しいです。
眼に入るものになんでも感動してしまいますね。。
モスタルに向かう道路の車窓から。
モスタル市内が見えてきました。
旧市街近くにあるこの教会そばの駐車場でバスを下ります。ここからはローカルのガイドが30分ほど旧市街中まで案内し、そのあと自由時間になります。15時にこのランドマークの塔の下に集合。
この教会は内戦後に建てられた新しいものの模様。
左に行くとモスタルの観光の中心、旧市街とスターリモスト。左の建物は内戦時の銃弾跡が多数残ったまま。。
このあたりが旧市街の入口。
真ん中にたなびくのはボスニア・ヘルツェゴビナ国旗。ガイドから「スリに気を付けて」と言われました。
もうすぐスターリモストが見えてきます。
来ました。眼鏡橋のような急峻なこの橋がスターリモスト。「古い橋」という意味です。この橋はオスマン帝国時代の建設でしたが、ユーゴ内戦で破壊され、戦後ユネスコ等の支援により2005年に復建されました。世界遺産です。
橋の上から見えるモスク。
下を流れるネトレヴァ川の緑色の水も美しいです。
これは下流の一つ先の橋。
このあたりの山はどこも急峻でごつごつとした岩山が多いですね。
橋を渡り終えました。
旧市街の中を散策。途中何回かガイドから説明がありましたが、このモスタルはかつてオスマン帝国が西に張り出してきたときに最も西側の中心地にあたるところ。なので、アジア風の雰囲気が味わえるというのが売り。ただし、この土地の統治者は数百年の間で何度も変わり、住民はそれに翻弄され、その結果いろいろな宗教、民族がモザイク状になる結果となったということで、それが痛ましい内戦につながったわけです。改めてバルカン半島の歴史を勉強させてもらいました。
さて、これがスターリ・モストの全景。
こんなところが戦場になったとは、俄かに信じがたいのですが。。
ユネスコの世界遺産認定の表示。
要塞の上から眺めてみます。
眼下の橋。
下流方向。
要塞から降りる階段。まだまだ続く。。
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