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百二十五年物語

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2010年06月23日
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カテゴリ:百二十五年物語
清吉とアジア号

祖父清吉の人生は、一旦終えて

早く祖母ツナについて書こうと思ったが、

やはり、清吉のあらましをここで話してから

ツナストーリーにいきたい。

理由は、祖母ツナが後妻だからだ。


清吉が最初の結婚をいつしたか知らない。

わかっていることは、最初の奥さんとの間に

3人の娘に恵まれたということと、

そして、奥さんと3人の娘さんを結核で亡くしたということである。


僕はこの事実を父と神戸に行ってはじめて知った。

父のいとこにあたるタダシさんが教えてくれた墓に

父に連れられていったのである。

僕が高校2年生だったから、父は43才だったということになる。


墓は小さく苔むしていた。

父と僕はその墓の掃除をして手を合わせた。

「誰の墓?」

「うん・・・」

父は少し言葉を選ぶような気配があった。

「おじいちゃんの前の奥さんと娘さんの墓だ」

「どういうことや?」

追求する高校2年生のぼくに

父は上のようなことを話してくれた。


実は、この話以上のことを父も知らなかったと思われる。

最初の奥さんの名前も

3人の娘さんの名前も

父は知らなかったと思われる。


1962年(昭和37年)6月13日。

祖父清吉が亡くなった。

その時、神戸からは清吉の弟キヨマツさんと

妹八重おばさんがやってきた。

その八重おばさんが父に言ったそうだ。

「比古太、あなた、お兄さんから聞いてるの?」

「何をですか?」

「ホント、あの兄さんのことだから何も話してないのね」

「何も聞いてないです」


父が言うに明治男気質の特徴に

自分の過去について語り継ぐような慣習はなく

卑下した言い方で

「山の中の田んぼにあったから山田なんだ」

と、素朴に語ってたそうだから

父はその通りに受け止めてきてたそうなんだが、

八重おばさんによると

先祖は熊本県八代の下級武士だったらしく

明治になるとどうじに神戸に移って造り酒屋をはじめたそうだ。

そこに男子3人、女子1人が生まれた。

清吉は4人兄弟妹の次男だったそうだ。

酒屋を継ぐ気はなく、

弟のキヨマツに酒屋はまかせると言って

兄と一緒に満州に渡ったと聞いている。


清吉の結婚が神戸時代なのか、満州時代なのか

今となっては知る由もない。

つづく。






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最終更新日  2010年06月23日 23時27分05秒
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