カテゴリ:百二十五年物語
清吉が亡くなるまでは 二階の天井の低い部屋で 清吉とツナの間で寝ていた。 祖母ツナがにわとりの卵を売ったお金の収益?を ノートに記録していたような気がする。 庭には10数羽のニワトリが飼ってあって よくイタチに狙われていたので あわびの貝がニワトリ小屋の周囲にぶらさがっていた。 清吉が亡くなったあとは 祖母とふたりで寝ていた。 祖母の布団の中で掛け算九九を覚えさせられたから 小学校1年生のときはかけざん九九は完全にマスターしていた。 歌で祖母から習ったのは・・・ ♪ここは御国の何百里 はなれて遠く満州の~♪ と ♪柿に赤い花さく いつかのあの家?♪ の2曲だった。 祖母は「明治31年生まれ」だと語っていたような記憶があるのだが やや曖昧なんだ。 明治31年生まれとすると1898年生まれということになる。 なくなったのが1969年11月だから 1969-1898=71 72才(おそらく数え年)だから計算がピッタリ合う。 祖母の話で印象に残っていることで誕生日のことがあった。 4月に生まれたのだが、なんだか忘れたが経緯があって 10月生まれになったと話してくれてたことがあった。 「おばあちゃんはふたつの誕生日があるとやね」 幼い僕の認識はその程度のものだった・・・。 祖母ツナは5人兄弟姉妹の末っ子だったそうだ。 これは母千鶴子から聞いた話だ。 長男礼造(れいぞう)がいた。 漁師だったらしい。礼造の漕ぐ舟で大連に渡ったらしい。 二男は幾造(いきぞう)。 このおじさんが亡くなった時は 祖母の隣ではじめて死人をみて怯えていたことを覚えている。 長女はイエ。 このイエさんが大連で出産することになったため ツナは姉の出産の手伝いをするため大連に渡り 清吉と出会うのである。 次女トミ。 そして 5番目が末っ子ツナであり、僕の祖母である。 つづく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年07月20日 20時41分24秒
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