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カテゴリ:我家のペット達
今日は、冷たい雨でした。 明日は、昂くんや姫子ちゃんと訓練会の予定でしたが どうやら中止の方向に・・・。 なんだか、がっかりです。 さて、今日はふと先代ラッキーを思い出したので ラフ・コリーのラッキー君とその前に飼っていた ヨークシャ・テリア(ヨーキー)のテリー君について書きたいと思います。 テリーが我家にやって来たのは、私がまだ小学生の頃でした。 父の知り合いのブリーダーさんで仔犬が産まれたというので 家族で見に行きました。 まだ、生後1週間くらいだったテリーは、 小学生の私の手のひらに乗るほど小さく儚げでした。 すぐに家族全員で一目惚れ♪ その日からテリーが来る日を指折り数えて待っていました。 テリーは本当に賢い犬で、すぐに家族に溶け込み 当時まだ幼稚園児だった妹の親分の地位を確立し?(笑) いつも私たち姉弟妹と共に寝起を共にする兄弟のような存在でした。 そんなテリーが3歳になった頃だったでしょうか。 2泊3日で家族旅行へ行くこととなりました。 当時は、犬を連れOKの宿泊施設などほとかどありませんでしたから テリーは、テリーのブリーダーさんのかかりつけの動物病院へ預けて行きました。 3日目の夜、家族で旅行を楽しんで帰宅する途中、 「テリー寂しがってるかな?私たちを見たら喜ぶだろうね」と ワクワクしながら病院にテリーを迎えに寄ったところ・・・・ なぜか、両親だけが奥に呼ばれて、私たちはテリー会せて貰えず 車の中で、テリーが亡くなったことを聞かされたのでした。 ちょうどお盆期間ということで、病院の裏の空き地で盆踊り大会が有り テリーは慣れない病院のケージの中で、 聞きなれない音への恐怖と置いてけぼりの不安からか 隣のケージのマルチーズと共に太鼓の音のする間中吠えあって ついに発作をおこしてしまったのだそうです。 獣医師さんは、すぐに発作止めの注射を打ってくれたそうなのですが 悪いことに、テリーはフィラリアに感染していたので ショックで吐血し、そのまま急逝してしまったというのです。 (当時はフィラリアの予防の薬も無く、私たちも初めて耳にする言葉でした。) 小学生だった私には納得がいかず、帰宅してから三日間ご飯も喉を通らず 三日間泣き暮らしていました。 私としては、3日前まで元気だった愛犬が帰宅後に 亡骸も見せられずに死んだと言われても、ただ愛犬を取り上げられも同然で 今思うと、【死別】という現実を理解できなかったのだと思います。 両親は、幼い子供に犬の亡骸を見せることを躊躇して 私たちにテリーを見せてくれなかったのだと思いますが 私としては、辛くとも現実を見せて貰っていた方が、 【死別】というものを受け入れられ、それなりに納得できたように思います。 その後、すぐに動物病院の先生とブリーダーさんから、 新しいヨーキーの仔犬を下さるとの話を頂いたのですが、両親は断りました。 私としては、すぐにでも新しい犬で、突然空いた空白を埋めたかったのですが、 両親にとってもショックだったようで「もう二度とあんな辛い思いはしたくない」と、 犬は飼わない決意をしていたようです。 そんな出来事があってから、 我家には数年間の犬不在の空白期間がありました。 しかし、やっぱりテリーとの別れに納得できていない私は、 「犬が欲しい!犬との暮らしをもう一度したい!」と強く思うようになり テリーとの死別から数年後に、 当時、流行っていたピレニアン・マウンテンドックが欲しいと 両親にねだるようになりました。 母の方は、私の性格を知っていたのである程度は覚悟しいてたようですが、 父は、かたくなに「犬は飼わない!」と言い張っていたのです。 しかし、父も心のどこかで「犬を欲しい」と、思っている違いないと 確信していた私は、ある作戦を決行!! その名も、『犬飼え!寝ても冷めても作戦!!』です(笑) その作戦の内容はと言うと・・・ 「犬を飼って!」という紙をそこら中に貼るというものです。 ただ単に紙を貼っても意味がないと考えた私は、 父が家にいる時の行動パターンを考え まず朝起きてベットから起き上がって見える所に 「犬を飼って!」という紙を一枚! そして、父は、起きたら最初に行くのがトイレなので 便器の蓋を開けたところに「犬!」という紙を一枚! その次に顔を洗う洗面所の鏡の横に一枚! 父がいつも座るリビングのテーブルの父の場所に ピレニアン・マウンテンドックの親子の写真を一枚! また、当時父は、お寿司屋さんから頂いた 魚の名前が一面に書かれている湯の茶碗を愛用していたので、その一段に 「犬・犬・犬・犬・・・・」と、ぐるりと一周書いた紙を貼り付けました。 やっと、落ち着いて寝れるとベットに入っても油断できないように 父の枕の真上の天井にも「犬を飼いましょう!」と でっかく書いた紙を貼っておきました。 他にも、冷蔵庫の中や父の車のハンドル等々・・・ そこらじゅうに貼りまくって・・・ほとんどデモですね。(笑) 今思うと、自分でも大笑いというか、こんな子供イヤです!!(爆) もちろん、父も私のデモ運動に3日で根負けしました。 しかし、我家にお迎えしたのは、なぜかラフ・コリー。 私が欲しいといった言ったピレニアン・マウンテンドックは超大型犬。 それは、さすがに無理だと母が反対し、 父は大型犬ならジャーマン・シェパードが欲しいと言い、 シェパードはルックスが怖いというこで、 最終的に家族全員全員の意見がまとまった犬がコリーでした。 飼うと決めたら、父の行動は早い!! 知人にコリーのブリーダーさんを紹介して頂いき、 翌月には、家族全員で仔犬を見学に行き、 一週間後には、見たことも無い不思議な仔犬が我家に居たのでした。 ワクチンを終え、外のケージで飼い始めた頃。 まだワクチン前の室内で飼っていた頃のお写真は、撮っていませんでした。 母の話では、父も子供の頃にシェパードが飼いたかったそうで、 ご近所から、ジステンパーに感染してしまったという 犬を貰って来て飼おうとしたほどだそうです。 しかし、もう高齢だったその犬は、何度父が連れ戻しても 元の飼主の元へヨレヨレと帰って行ってしまい、とうとう諦めたとか。 そんな逸話のある父なので、ラッキーを迎えてからの溺愛ぶりは大変なものでした。 知り合いの業者さんにお願いして、 ラッキー専用のケージを特注で作って貰いました。 畳二畳ほどの広さで、脱着自在な網戸雨戸付。 風通しを考えても床は高床にして貰い、もちろん電気もつく豪華犬舎でした。 業者さんは、「これならライオンも飼える」と太鼓判!! 父は、ここにクーラーも付ける頑張っていましたが、 さすがにそれは、私と母で止めました(笑) 庭も花壇と池を全部埋めて、足に良いからと砂を敷き詰めていましたが、 引っ越してからは、ラッキー用にレンガを敷き詰めていました。 でも、ラッキー的には、豪華犬舎でひとりで寝るよりも、 私たちと一緒にリビングで寄り添っていたかったらしく、 いつも隙を見ては、リビングへ侵入していました。 当時の常識では、犬は外で飼うものというイメージが強かったので ラッキーは老犬になるまでは、室内犬にはなれませんでした。 でも、彼の夢は【室内犬】だったんだと思います。 なので、ミルキーを飼う時は、絶対に室内で飼おうと決めていました。 ラッキーの得意なお座りは、椅子や階段の上にお尻を乗せて腰掛ける座り方。 こんなに大きな体をしていても、小型犬のように抱っこ希望者で、 よく、私がしゃがんでいたり、座っていると、 「抱っこして!」とばかりにお尻からグイグイ迫って来て 膝の上に強引に座って、抱っこされていました。 私の顔に毛だらけの背中をおしつけて本人は満足げでしたが 私は、目の前にそびえるラッキーの背中で前が見えませんでした。(笑) ミルキーよりもふた周りは大きく、自分より小さい生き物には優しくて、 雄犬でも牙をむくことも無く、男気のある勇ましい犬でしたが、 かなりの甘えん坊でした。 弱点は、雷と花火だけ?(笑) 文字数制限のようなので、今日はここまで!!(笑) 続きは、またいつか・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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