悲しみの表現。
・・・・・・・・悲しいとき。あなたならどうする? 一体どんな行動をとるの?・・・・・・・・・・涙を流す。・・・・・・・・・・・・・思い悩む。・・・・・・・・・・・・・・・・人に話す。これらが、一般的な悲しみの表現じゃないだろうか?今思えば、こんな選択肢があったのに。どうしてだろうね?素直に受け止められたら・・・・よかったのに。母は、「笑顔」を忘れることで悲しみを表現した。僕は、「涙」 を流すことをやめて、悲しみを受け入れた。・・・・・・・・・・・・大嘘だ。悲しみを隠したんだ。どうして これを選んでしまったんだろう。悲しむことが怖かった。だから、逃げ出した。そして今も・・・ 逃げたまま。きっと母は、以前のように戻ることは無いだろう。あの、誰にでも明るさを感じさせた「笑顔」は、取り戻せない。襲い来る疲労と耐えがたい悲しみが、完全に奪い去っていってしまったから。あきらめたわけじゃないけれど。・・・もう5年。・・・母にとっては・・・まだ5年。仕方ないのかもしれない・・・そう思えてしまった。・・・・僕は・・・・どうなんだろう?悲しみを比べるなんて失礼なことをしちゃいけないってわかってる。でも、悲しみを感じたとしても。心のどこかで。「こんなことで悲しんでいいのか?」そんな声が聞こえるようで。。。。。。悲しむことに ためらいを覚えて。拒む。まずは、あの悲しみを受け止めなければいけないのかもしれない。悲しみを隠したことで、悲しみの表現すら忘れようとしている、この心。・・・・でも、どうやって?どうすればいいの?5年という歳月が、悲しみという感情の上にあらゆるものを覆い被せた。悲しみをオブラートに包み込み、違う感情でグルグル巻いて囲ってる。「悲しい」ことはわかるんだ。感情が無いわけじゃないんだ。それなのに、今の僕は ただそれを見てる。横に置いて、冷静な振りしてただ見てる。ホントは・・・・不器用なだけ。ホントは・・・・ただ怖いだけ。・・・・・このままでいいわけ・・・・ないよね。