カテゴリ:家族
やっと東京に戻ってきた。地方とは違って、人は多いしごみごみしているけれど、私はこの街がとても好き。帰ってくるとほっとする。夫と私の育った家族を両方廻って、たった4泊の旅は、貴重で少ししんどい異文化生活である。
年を経るごとに普段の生活との違いは際立ってくる。ほんのしばらくなのに、とても遠くに長いこと行ってきた気がしてしまうのは、そのせいだろう。どうも今年は、その違いの大きさに圧倒されて頭痛がしてしまった。実家は変わらないのだから、私が変わってしまったんだと思う。 昨年は、人目にふれやすい形式で本を出した関係で、取材や依頼もあり、私個人の意見をはっきりと公表する機会がつづいた。職業柄あたりまえのことだ。ところがその習性は、家族という空間になると「女性である場合には」邪魔になる。特に「嫁」という立場とはめちゃくちゃ相性が悪い。 「嫁」は、子どもや夫、そしてその親をケアする存在である。「嫁」の存在価値は、子どもや夫をいかによく世話したか、で決まる。受験生の息子を夫と東京に残して実家に出かけた私は、それだけで分が悪い。この基準に照らすと、私は何もしていないのでは?と思えてくる(^^;;;;;;;。逆に男性であれば「地位について稼げたか」が基準となるのだが。どちらもちょっぴり空しい価値基準である。 私達の親は、そういう役割を全うするという人生をやってきた世代だ。だからこそ、その価値を否定することなど軽々しくできない。彼/彼女らの役割と人格は、比較にならないほど深く結びついている。私の子供が小さかった頃は、母親役割がもう少し自分の中で大きな割合を占めていたから、役割の会話をすることができた。でも、もうできなくなってしまった。 個人と個人の会話になった時、共有できることは何か?探してもなかなか見つからないのが実情だ。いわゆる異文化交流なら、お互いに「違う」という意識から初められる。でも、親族であったりすると、「仲間だから同じ」という期待からはじまるから難しい。共有できることを増やす、という努力なしには、例え親族や身近な家族でも関係が持続できない、と身にしみたツアーであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/01/05 01:15:14 AM
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