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まずはタイトルと関係ない話ですいません。初蹴りのフットサルでハットトリック!かなり気分いい。普段アシストにまわることはあっても、シュートしない方なので、自分でも驚き。
さて、中越地震、インド洋津波、少し前では三宅島噴火など甚大な災害があとをたたない。駅前を通れば募金がよびかけられる。なんと、中越地震で全村避難した山古志村の復興には、1000億円かかるという見通しだという。全国民あたりたった1000円でしょ、と村長にいわれれば確かにそうだけれど、インド洋津波へ世界中の国家が出したお金を全部合わせても5300億円である、ということを考えるとその金額の膨大さに、くらくらしてくる。 数多ある寄付要請に、どう応えていったものだろうか。国が出すお金は税金からの配分だから政策にかかわっている人にまかせるしかないが、自由に寄付する義援金のたぐいには 考える余地がある。 私は普段あまりお金の持ち合わせがないので、募金をすることが少ない。けれど、津波災害には少し出した。ちょうど娘が友達と遊園地に遊びにいくという一大イベントが大雪でつぶれたので、浮いたお金を、そのまま郵便局で振り込んでしまった。私としては、清水の舞台から飛び下りるような心境だった(^^;;;;;;;。金銭にシビアな家人からは、ブーイングもあった。 途上国でおきた災害は、あれだけの被害者を出しながら経済的な損失はそれほど大きくない。同じお金を出すなら、たぶん多くの人を救える被災地に出そう、と思ったのである。先進国である日本では、人の命の値段は実に重い。それに生活をささえるインフラ、住宅や所持品などが多いから、被害額を算定すれば被災者の人数が少なくても、損失は大きい。インド洋津波の被災者が所持していたものは、ほんのささやかな住居とモノたちである。日本もつい、数十年前はそうだったのに、、、。 円の価値がまだ十分にある今なら、少しのお金が海外では使いでのある金額になる。少なくとも、山古志村に1000円出すよりは価値があるような気がする。復興したアジアの美しいビーチには、いつか行ってみたい。でも、山古志村にいつか行きたい、とはあまり思えない。非情かもしれないが、そういう折り合いのつけ方をするしか、無際限の寄付要請から逃れようがない。 微々たるお金の使い方も、未来社会の設計図を描くという行為だと思うと、あれこれ思案してしまう。というわけで、たまにはモノを買うぞ!とバーゲン会場を歩き回っても、何も買えずに帰ってくる私でした(--)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/01/15 12:46:35 AM
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