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月曜に尼崎で大事故が起こった翌日、大学の講義のため常磐線に乗った。なんと、少し先の駅でトレーラーと特急が衝突したらしい。ますますもって、事故の恐怖を身近に感じさせられた。めったに自動車にのらないので、交通事故よりも列車事故のニュースで不安になる。
米国で列車は遅れてもしかたがないもの、と体感してきたあと、秒単位の遅れに振り回されているわが国の鉄道事情を聞くにつけ、気が重くなった。事故をまねいた運転手は、何回かミスを繰り返しているといわれるが、ずいぶん厳しい基準を要求されているものだと思う。過密ダイヤのもとでの離れ業ともいえる列車の定時運行は、多数の熟練運転士さんたちに支えられていることにあらためて気づく。 しかし、このシステムはこれからも維持可能だろうか?そろそろ怪しくなってくるのではないか。社会実情図録データによれば、1970、80年代に多数の死者が出るような鉄道事故は起きていない。60年代までは大事故はめずらしくなかったのだ。90年代以降になって、再び事故が起きつつあるのは偶然ではないと思う。鉄道に限らず、あらゆる職場で熟練の技術を引き継ぐ中堅/若手が育っていない。 日本の産業を根底で支えたのは、手堅い技術力を誇る人々だ。だが、そういう人々を育てる公教育は、見事に管理的で画一的なものでもあった。私たちは、すでに管理教育を放棄して、新しいタイプの人間を育てようと一挙になだれ込んでいる。「日勤教育」をほどこす側と、受ける側の世代間の断絶は大きい。JR西日本は、中間の世代にあたる30代を極端に欠いた組織だったというから、亀裂はますます激しかったのではないか。 問題は、私たちの社会が次世代型の教育を受けた人間に合ったシステムを構築できていないことにある。人はミスを犯すし、常に会社と一体になって誠心誠意をつくしつづけるとは限らない。考えてみればあたりまえのように思われる「人間らしさ」を、あらかじめ折り込み済みで制度を作らなければ、このような事故が社会のあらゆる場面で増加するだろう。 個人に過大な責任を負わせながら、十分な安心や見返りを保証せずに使い捨てれば、そのつけは必ずどこかに回る。経営する側には「効率のよい」働かせ方が社会の隅々に行き渡った今日、疲弊した労働者のモラルも崩壊寸前である。 さっそく、鉄道各社は時間規律を守るよりも安全運行を、という指令がでたのか、今日は近隣で「遅れ」が出ていたらしい。どうも対応がマニュアル的な印象である。やれやれ、とはいえ私が講義に遅れる訳にはいかない。また頭痛の種が一つ増えてしまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/04/29 12:52:46 AM
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