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きのう、友人と娘と3人で恵比寿ガーデンプレイスにでかけ、「皇帝ペンギン」をみた。休みの少ない娘の都合にあわせ、約束をしてから気づいたが、15日と言えば終戦記念日だ。靖国神社に人が押し寄せている日に、私は政治からもっとも遠い場所にいた。
チケットを予約してから、開演までにまだ時間があったので、三越の八重洲ブックセンターをのぞく。どこかにいくと、私は趣味と仕事をかねて、まずは本屋に入るのが常である。本屋に入ってその場所が、どんなところであるか、にあらためて気づいた。この界隈には、アーティスト、セレブな?奥様、国際関係のお仕事、お子様の教育に熱心な人々、がよく出没しているはずである。「和」の紋様を紹介する本がこれほど目立つ棚においてある本屋はそうそうないだろう。たまたまネイチャー好きの娘がいたので、うっかり「皇帝ペンギン」を見に来てしまったが、どうやらこの地にふさわしい映画なのかもしれない。 それにしても不思議な映画だった。ペンギンの一年が、淡々と映像で流れる。制作者がフランス人でなければ、こういう台詞や音楽で構成することはなかっただろう。愛知万博にあるフランス館の映像を思い出してしまった。イギリス人が作ったら、BBCのネイチャー番組みたいに「サイエンス」風になり果てたはずである。(娘はそれで全く構わないだろうが、私は退屈しただろう)「自然」を、徹頭徹尾「人間社会」視点で構成しなおしてしまったところに、この映画の醍醐味がある。つまり、彼らは皇帝ペンギンを役者にして、家族映画を撮ってしまったのだ。 ペンギン家族の目的はこの上なくシンプルである。ペアをつくって、卵を産み、次世代を育てる。育ったら家族は解体する。そして、文字通りそのために命をかけて日々を生きる。ああ、ペンギンでなくてよかった、と心から思う。が、逆にこうやってはっきりした目的のもとで暮らせたら、人も楽なのではないかとも感じてしまう。 皇帝ペンギンのペアは、まず長期間にわたってオスが卵を抱いて暖めふ化させる。卵を産んだメスはえさを食べに行ってきてもどって交代し、その後またオスが出かけてもどってくる。つまりは、常に一人親というわけで、このあたりも離婚があたりまえとなったフランス人社会の家族イメージにぴったりくるのかもしれない、などとつい考える。 家族と集団の絶妙な距離感も面白い。ある程度子どもが育つと、親は子どもをおいて、海に出かけてしまう。その間は、子どもは仲間とすごし、たまに危機が訪れると近くにいる大人を頼る。ちゃんと「保育園」もあるというわけだ。そのうち親たちは、さっさと子どもを置いて海にでかけてしまうと、しばらくして子どもたちは"仲間ととも"に、海へと旅立つ。つくづくクールな親子関係。なかなか日本人にはまねできない。 「皇帝ペンギン」をつい家族映画として見てしまったのは、私の職業病だろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/08/17 12:39:18 AM
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