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私がいま唯一誇れることといったら、おそろしくエコロジストだということだけです。
理由は簡単で活発な行動をしていないから。毎日家にいて仕事にもいかず遊びにもいかず家事もろくにしない。お金も使わないから資源も無駄遣いしていない。唯一やっていることといったら、パソコンに向うことと本を読むこと。資源とエネルギーを使う活動ではありません。もしかしてこれって引きこもっているっていうことでしょうかね(^^;;;;。政府がさかんに言っている1人1kgの二酸化炭素減らそう運動ですが、私はもう減らせませんからたくさん出してる人が減らしてください。「平均」1人1日6kgといわれても困るんですよ。そのうち2kgは車なんですから、車にのらなければすでに2kg少ないわけで。最近の政府って、何かと一律がお好きですよね。後期高齢者医療制度とか。お金に余裕のある老人の保険料をいまさら安くしてどうするつもりだったんでしょう。 こんな生活でもやらなくちゃいけないことはままあるのですが、これまで高密度の人生を送ってきた私にとって、この活動量低下状態はどう考えても人生最低密度のレベルだ、というわけでエコなんですよ。行動密度とエコには関係があります。生活を時間で測って行動を記録したデータで研究をつづけてきた私にとって、「時間圧力」は気にかかる問題でした。生活の密度は増すばかりで、そこに耐えられない人たちがどんどん離脱しているのが現代社会。離脱した人の方がまともなのではないかとときどき思うのです。ついに自分も離脱「させられ」ましたけど。そこは自分自身を例外扱いせず肯定的にとらえたい、と暗示をかけてたりします。 私たちは資源とエネルギーを消費して行動の密度を上げつづけて疲弊しています。そうしないと、失業してしまい食べていかれないからです。厳しい世界になりました。密度を高めるには、合理的な人生への生活態度が肝心です。めんどうなこと、友人や家族や知人にかまける時間をできるだけ避けること、お金を稼げないことを避ける、これが大切。おなじ手間がかかることなら仕事に直結する行動に厳選しなくてはいけない。私にはできなかった。密度が低めの人でもそこそこ食べていかれる世の中になってほしいものです。 人が社会から切り離されたときに感じる孤独は恐ろしいもの。自分の存在というものを確かめるために人間は職を持ち、家族に頼ります。どちらもなかったら相当にそれに代わる居場所を持たないと存在しつづけられません。自分の著作で書いていることそのまんま体験中(笑)。人生はほんの紙一重。昨日入っていたはずのお金は今日入らなくなるってことです。 究極にエコロジカルな日々に乾杯! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/06/07 01:04:05 AM
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