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出羽の国、エミシの国 ブログ

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2007年06月07日
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6月2日(土)、青森県深浦(ふかうら)港に北朝鮮の脱北者家族が
漂流に近い状態で到着した・・・というニュースがあった。
そのニュースを見て、今から約1300年前の”出羽の国の渤海使節の漂着の出来事”を思い出した。

 1300年前、日本は 奈良時代。一方、大陸側の中国東北部、沿海州、朝鮮半島北部には渤海国という高句麗人や靺鞨人の国(ツングース系)があり、その領域は今の中国、北朝鮮、ロシアにまたがる、とされる。

 渤海国は 大和に何度か使節を送っていた。
その第1回目が、出羽の夷地(秋田県北部から青森県にかけての日本海沿岸)に漂着(727年秋)し、そこが 今日の深浦町あたりなのだ。
 出発地(渤海側)は不明だが、豆満江河口の北側、ポシエト湾と推測されている。今回の出発地の清津(チョンジン)に ほど近い場所。
(ちなみにその時に漂着した24人(すべて軍人)の内、16人が蝦夷に殺され、8人が大和へ逃げ延びた、という。)

 季節が春と秋の違いがあるものの、航海ルートは 今回の脱北者家族とほぼ同じのようだ。
ニュースの詳細から、1300年前と今回の航海の共通点として、以下のことを推測してみた。

・ 朝鮮半島北部から船ででれば(潮の流れによって)、おおよそ、出羽の国の北沿岸部にたどり着く。
・ 潮の流れがあり、それほど大掛かりな動力がいらない。(帆でも良い。)
・ 天気などの条件によっては、意外に小さな船でも渡れる(丸木船でもOK?)。
・ 朝鮮半島北部から出羽の国まで、船で7日ほどかかる。(今回の出来事は5/27~6/2)
・ (それでも時には危険を伴う、命がけの航海ではあった。)


日本海側の海辺には、韓国や中国からの漂流物が多いということを以前に書いた。それは海の潮の流れからだと思ったからだ。

古代には、この出羽―渤海の航海ルートは、南の遣唐使船の航海に失敗した遣唐使が渤海経由で帰ってきた記録があるなど、航海の成功率の高いルートと考えられていたそうだ。

”いにしえの渤海使節も今回の脱北者とほぼ同じルートでやってきた”
それが今回 証明されたといえないだろうか。

 今回の船は、”全長7.3m、幅1.8mという古い木造の船”で船室の囲いもない丸木舟に近い。小さい釣り船ほどの大きさだ。清津(チョンジン)からの 深浦港の距離は直線で850km。日本海を渡ることができたという意味合いだけではないような気がする。

 古代の渤海国使節の“出羽の国の記録”は、ほぼ間違いがないと思う。事実は想像を超えそうな気がする。





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最終更新日  2020年08月01日 16時43分33秒
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