|
テーマ:本日の1冊(3697)
カテゴリ:出羽国の地名
“出羽”と“出雲”との“地名の云われ”を比較をしてみたい。
引き続き「野見宿禰(のみのすくね)と大和出雲」の本の内容から。 まず、作者の言語学の友人(松本俊吉氏)からは、 「地名の語源は、すでに大昔の古代に忘れられ、行方不明になっている代物で、『風土記』の由来説は、ほとんどがダジャレか、後に創作されたものである。荒唐無稽なんだから、まともに取り組むことはない・・・・文字のない日本の欠史時代の言葉は、後世の当て字にとらわれることはしてはいけない。」とアドバイスを受けたことを紹介する。 たとえば“出雲の地名の起源説は、「出雲風土記」の冒頭に、「出雲との名づけるゆえ(いわれ、理由)は、ヤツカミヅオミツノノミコト(記紀ではスサノオ)、『八雲立つ』と詔りたまひき、故に八雲立つ出雲という」と記載されていることについて、これは「まるっきり“イヅモ”の語の説明になっていない」、とその説を採るならば"立雲?"とされるべきという指摘を加える。 そして、作者としては出雲は現在の島根県ではなく、奈良の出雲地区にあったという説に立って、大和の出雲村が 初瀬川のほとりにあり、長谷寺のある谷あいから湧き上がってくる積乱雲を“八雲立つ(出る)、出雲八重垣・・・“の雲の様子を見て出雲の字のイメージとぴったりの場所でありその場所と風景のイメージから"出"と"雲”の字が使われた、と考える。 もう1つの説として、西脇順三という詩人がいう「出雲の語源は、大和から眺めて“遠い端(つま)にある国”という支配者が名づけた意味が含まれていた」という説を紹介する。 「出雲(いずも)は、信州のアズミ(安曇)、関東のアズマ(吾妻)、三河のあつみ(渥美)、 九州のサツマ(薩摩)と同様に、倭(大和)からみた、ツマ(端)で“遠いはるかな端にある”という意味が含まされた。」という大和中心をして地方を見た考え方。 それでは、「出羽の国」について考えてゆきたい。非常に出雲とそれぞれの説が似ている。 いままで云われてきた“出羽の国の地名の起源説”には、いくつかある。 1、越後国の北部に突出した出端(いではし)の意味の出羽(イデハ)。 2、允恭天皇に鳥の羽を土地の産物として献上したから。 3、i (夷) te (人) ba (地方、領土) すなわち、「夷人の領土」。 など。百科事典などでは<1>の説をとっているものが多い。 出羽の国に関しても、総じて"後世の当て字にとらわれることはしてはいけない"の松本氏のアドバイスのとおりに考えてゆく。 <1>について、“いでは”が“出端”であるならば、あくまでも“いではし”の表記になり“伊テ波”にはならなかっただろう。(※テは表記できず、氏の下に_の字) <2>については、出典が類聚鈔の記載であるが、資料的な根拠はないともいわれている。 <3>については由来がわからない。千葉県南部には“夷隅”のような地名があるので“夷住み”のように考え、これに近い意味とかんがえたのだろうか?少し内容的にこじつけが強い感じがする。 くりかえしになるが、“出羽”という漢字(当て字)にとらわれていけない、という前提で考えたい。 ”端(つま)”や”出”の表記を漢字にあてはめたとしても、本来の付けられた地名の意味ではないだろう。例えば”アズミ””アツミ”は、”安曇・渥美・温海・熱海”など漢字表記をかえれば、他にも多くの表記が可能だ。 さらに、出羽も含めて、出雲、吾妻、あつみ、などの多くの意味がすべて奈良から”遠い”という意味だけなら、あまりにも表現力が乏しい。また、そんなマイナスのイメージをもつ地名が 長く自ら人々が好んで使う地名になるのだろうか。疑問が残る。 東北にもアイヌ文化があったとされ、東北、関東にもアイヌ語の地名があると考えられている。もしかしたら、“アイヌの言葉”でそれぞれの地名が解読できるのかもしれない。今回、アイヌの言葉での意味まではわからなかった。 今回の考察の結論として出羽という地区が"いでは"と呼ばれた、音のみが大切である、そして、残念ではあるが、地名の語源は すでに大昔の古代に忘れられ、いまも不明になっている、とのみ言えそうだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年08月15日 15時22分07秒
[出羽国の地名] カテゴリの最新記事
|