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出羽の国、エミシの国 ブログ

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2008年06月22日
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カテゴリ:出羽国の地名
出羽の国の飛鳥神社。神社の祭神は、事代主命、相殿に素盞鳴命、大己貴命。
事代主神は俗にいう恵比寿様、大国主命の子供ともいわれる。
恵比寿は蝦夷(えぞ、えみし)とも書き、日本の土着民族である
蝦夷やその土着の神を想像させられる。

大己貴命とは、大黒様のこと、 大国主命や大物主神ともよばれる。
神仏習合の時代には、さらに仏教の神が加わる。

 出羽の風土略記には、“平田郷飛鳥権現(この飛鳥神社のこと)は、11面観世音で、この神社は別名“飛鳥観音寺”ともいわれた”のだそうだ。
(また、今はないが山門に慈覚大師作の仁王像があったとされる)。
出羽郡には他にも観音寺という寺が3つあり、他郡にもあったという記録があるが、
他の寺々との関連はわからなかった。(羽後町にもある)

 出羽飛鳥神社の周囲には奈良地方と同じ地名やその地名と同じ神社が点在する。
北に2キロ程行ったところには、大神(三輪)神社(祭神は大己貴命)、
(この神社も“当村草創のとき大和国三輪神社より勧進する”とされる。)
南に5キロ、前回とりあげた余目地区には三輪神社がある。
これらも観音寺という名だったのだろうか。旧大和村や三和村という地名もある。

 この飛鳥村は明治までは、以前紹介した余目地区に含まれていたという説もあった。
余目には、かつて大和村という村もあった。飛鳥村と余目(大和村)とは
最上川をはさんで対岸になるのだが、こことのかかわりが深い気もする。

 一方、出羽飛鳥神社の勧進元の大和国 “飛鳥坐(います)神社”についてはどうだろう。
祭神は事代主神、高皇産靈神、飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈流美乃御魂)、
大物主神の四座とされる。私は残念ながら訪れたことはないのだが、
地図では飛鳥寺(前々回)のすぐ近く(直線で200m程)にあるようだ。

 勧進したのだから当然のことなのだろう、祭神は出羽飛鳥神社と同じ 
事代主神(恵比寿様)で、大国主命(=大己貴命、=大物主神)を
祀っている。

 出羽飛鳥神社の別名の観音寺についてみてみたい。
奈良で11面観音像でつとに有名なところがある。
11面観音 聖林寺

 大神神社(奈良県)で、三輪山の麓に位置し、山自体が御神体で、
その祭神は大国主命である。明治以前は神仏習合で
その神宮寺には、11面観音像があった。

 これに関して、以前、奈良で次のようなエピソードを聞いたことがある。
明治の、神仏分離、廃仏毀釈で(三輪山)神宮寺は廃寺になり、
11面観音像はどこにも行く当てもなくなって捨てられることになっていた。
それを近くの聖林寺の住職が譲り受けて手押し車で聖林寺まで
運んで難を逃れたのだそうだ。
聖林寺は大神神社から南に4、5キロほどの道のり。
その11面観音、現在は国宝の指定となり、今も聖林寺にある。

 大神神社では、神宮寺を再建した際に、聖林寺の11面観音を
模写した観音像をつくったそうである。
(かつて大神神社神社にあった11面観音像(聖林寺) 右写真→)

その11面観音はフェノロサや岡倉天心も惚れ込んだといわれ、丁度、先日の
“NHK その時、歴史が動いた・岡倉天心”でも この像が番組中紹介された
写真のなかにふくまれ一瞬だが紹介された写真が写されていた。
大神神社には、古くから11面観音があってとても大切なものであることがわかる。

大神神社の神社と出羽飛鳥神社はともに11面観音を祀っている。
そして、出羽の国とも共通する飛鳥、三輪の奈良の地名と、恵比寿様(蝦夷)・大黒様、そして 11面観音。

ところで、飛鳥と大和(三輪)は厳密に言えば違う。
大和は三輪山山麓やその南西側で初瀬、長谷など、その周辺は大和朝廷の発祥地といわれる。
大神神社は大国主命を祀り、奈良(大和)では“天皇家よりも先”とも
いわれるほど歴史が古い。
大和の人々がなぜ出雲の神を祀るのかは はっきりしない。
大和は縄文や出雲の文化と関係を受け継いでいたのだろうか?

飛鳥は、甘橿の丘の東側。蘇我氏との関係が深い場所だ。
出羽では、この飛鳥と大神(三輪)が混在する形で、少し不明確な点はある。
それでも、出羽飛鳥村などの伝承は 正確に言い伝えてられているといっていいと思う。
さらに11面観音の阿弥陀信仰は羽黒山の信仰とも一致する。

出雲、奈良(大和)と出羽、互いにあまり関係のない遠い場所のようなのだが、
同じく “大国主命”や“蝦夷”を祀る。
かなり、古い時代(大和朝廷以前)から交流があり、お互いに同じ文化を共有していたのだろう。
だからこそ、出羽の国と交流があったりお互いに人の行き来もあったりしたのだろうと思った。





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最終更新日  2020年07月30日 20時44分54秒
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