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テーマ:ムシキング(206)
カテゴリ:ムシキング
週末、お話ししていたとおりムシキングの公式大会に参戦してきました。 わが家初の新ムシキング大会だったわけです。 事前に多くの方からアドバイスをいただきましたこと、この場をお借りして改めてお礼させていただきます。 ありがとうございました。 結果は兄ちゃんが一度勝ち上がっただけに終わってしまいましたが、久しぶりの大会を楽しんでくれたようです。 さて、このムシキングについて、今日は少々書かせていただこうと思います(流行らないネタで恐縮です)。 参戦したことで見えてきたことがあったように感じたからです。 少々お付き合いください。 題して、 「新ムシキング考」(大袈裟!) ※本題に入る前にお断りです。 ここでは、「善し悪し」を論じるつもりはありません。 そのようにお感じになった部分があったとすれば、それはひとえに書き手の文章力が稚拙なためであり、意図していることとは異なりますことをご理解ください。 まず始めに、今回一番感じたことをあげてみます。 それは、この新システムが導入された当初、わがブログ心の師・鬼引き一家二代目棟梁・はんぞう師匠がお書きになっていたことです。 つまり、 「新ムシキングとムシキングは別のゲームである」 ということです。 もう1つ。 上記と関係しますが、こちらは里のムシ研の博士、航輝ぱぱさん、い~さんさんのお三方が、表現こそ異なりますが、同じことをおっしゃっていました。 即ち、 「レアカードのありよう」 です。 加えて、今回の大会参加に関しては、わたし自身の問題として懺悔しなければならない点もありましたが、これは最後に触れたいと思います。 ●ムシキングと新ムシキングは異なる2つのゲームである 今さらながらにこれを実感しました。 おなじ筐体、同じキャラクター、同じムシたち…… だからというわけではありませんが、ついつい亜流と考えがちでした。 根っこは同じで、枝葉が分かれたもの、というイメージです。 でも、そうではないのだと痛感しました。 この2つは、まったく異なる種類の樹木だと思います。 旧ムシキングは、皆さんがおっしゃるように「じゃんけん」というドメスティックかつシンプルな方法を使ったカードゲームでした。 このゲームの面白さは、じゃんけんの駆け引きだけにとどまらず、そこにさまざまなムシや各種のわざを絡めて、駆け引きそのものが多様になり、深まるという、いわゆる心理戦であり、奥深い勝負の機微があったことだと思います。 では、新ムシキングはどうかというと、駆け引きの要素は多少薄まり、勝負の場につく前に勝敗を決する要素の半分程度が決まってしまうということが特徴であると思います。 つまり、優れた兵器(デッキ)をもつものが「戦術的に」圧倒的に優位に立つ、という戦争論的には至極最もなものの考え方です。 デッキ構築における体力・攻撃力を如何に高めるかが、勝敗の帰趨を決めるる大きな要素になっていますね。 桶狭間然り、マジノ線然り、ポーランド回廊然り…。 例をあげれば枚挙にいとまがありません。 古来、およそそうであったように、これは戦いにおける常道であり、何ら否定されるべきものでもありません。 これを面白いと感じるか、がこのゲームのキモのような気がします。 優れた兵器を作り出す面白さ、ですね。 ただ、ここに大きな落とし穴があります。 それが、2点目にあげたレアカードのありようです。 ●レアカードのありよう 新システムでは、UR以下ノーマルまでの数段階のレアリティーが設定されています。 一般的に考えれば、レアであればあるほどいいカード(強いカード)という感じでしょうか。 旧ムシキングではやはり皆さん主として(無制限では)金ムシを使っていたと思います。 でも、新ムシキングでは、当時の金ムシに相当するであろうURを使うことはあまりないようです。 特に、3弾、4弾のURはそうですね。 ある意味でそれはいいことだともいえます。 つまり、ノーマルでも十分に戦えるということで、特にレアカードゲットのためにレ○コする必要もないということですから。 とはいえ、子どもはやはりキラキラしたカード、強そうなカードがいいと思いますよね。 必ずしもレアを使わなくてもいいのですが、レアを使ってもいいわけです。 ところが、新ムシキングではレアは使えない(useless)というと言い過ぎかも知れませんが、決して優秀な兵器たり得ないですね。 例えはよくありませんが、制空権を握るものが優位に立つ時代に、巨艦主義をとるようなものです。 実は、レアカードが使いづらいということは、表面的な問題であって、本質的な問題は別のところにあります。 それは、 「好きなムシを使うのが難しい」 ということです。 論理的に考えれば、使える資材(カード)が限られた中では優れた兵器(デッキ)を開発しようとすると、ほぼ同じものができあがります。 新ムシキングはまさしくそうだといえるでしょう。 体力や攻撃力を高めるのに必要な資材(カード)はある程度限られます。 そうなれば使われるムシも限られてきます。 もちろん、どのムシを使ってもいいのですが、勝てる可能性をどう考えるかでしょう。 あるムシを使うことが勝利への近道となれば、自ずから結論は明らかですね。 大会で出てくるデッキには、かつてのような多様性や個別性、特異性(いい意味でです)が失われてしまいました。 これも、「いい悪い」ということではありません。 でも、好きなムシで戦うからこそ面白いし、戦い甲斐があるのでは? 『グレイテストチャンピオンへの道』のコンセプトは、まさしくそうでしたね。 自分のムシとともに戦う、ということが楽しくもあり、つらくもあり、そこにドラマがあったわけです。 だからこそ、子どもたちはこのゲームに魅力を感じたのではないでしょうか。 繰り返しになりますが、これもいい悪いの問題ではありません。 単純に、好みの問題だと思います。 自分の好きなムシに好きなわざをカスタマイズして作ったデッキで戦うことは、新ムシキングでもできはしますが、お薦めできません。 それを受け止めるかどうかは、それぞれが判断すればいいことですね。 (※デッキをかえられないというレギュレーションの問題もありますが…、ちょっと割愛) ●最後に、自戒を込めて 今回わが家は、いくつかアドバイスいただいたデッキを使わせていただきました。 この点はわたし自身が常日頃この場でいってきたことから大きくはずれるので大いに反省すべき点デモもあります。 これまでムシにしても恐竜にしても、わたしは子どもたちの作るデッキに基本的に口出ししませんでした。 例外的に、お馬鹿なことをした場合にあとで一言、ということはありましたが。 しっかりした準備もなく参加してしまったということもありますが、今回は用意したデッキを子どもたちに渡しました。 参加前からわたし自身は気づきながら、そのことに目を瞑っていました。 今さらながらに、自己嫌悪です。 新ムシキングでは、子どもたち自身も、大会で戦うに相応しいデッキを考えるほどにはプレイしていません。 心構えの問題とすれば、「なっていなかった」わけです。 しかしながら、アドバイスいただいたものを含めて、皆さんの使っていたデッキなどを見るにつけ、子どもの力だけでそこまでたどり着くには、兄ちゃんは兎も角、チビには少々無理があるようにも思えます。 だからといって、これまた、それが悪いといっているのではありません。 あくまでも好みの問題です。 今のムシキングは、ムシキングであってムシキングではない(と思ってます)のですから。 唯一、その点を理解していたのかどうかはわかりませんが、チビは自分の好きなムシを使って戦っていました。 1Pで遊んでいたときに出てきた、アダーの使っていたデッキをまねて作ったものです(せっかくゲットしたので使いたかったようです)。 それは、 改造コーカサス-プロトタイプγ グー:クマバチ チョキ:ギラファ(アタック) パー:モーレンカンプ というものです。 体力は300に届かない感じでしたので、大会で使うには躊躇われますが、これが一番チビの性に合っていたようです。 このデッキで戦うチビを見ていて、 「これがあるべき姿何じゃないかな~」 と感じました。 そして、帰ってきてから、大会で使ったデッキについてあれこれいっていたときのことです。 チビの使ったデッキについて、 「どうせならパーはアダーモーレンにすればよかったのに」 と兄ちゃんが言ったんです。 試してないのでどれほどパワーアップするのかわかりませんが、面白そうですね。 「じゃあ、ギラファはアダコレないから、チョキはアダーマンディにしよう」 とか、 「グーはアダーアクティオンがいいよ」 「いや、あれはメガソマだから、カルコソマでなんかいいのないかなぁ」 「アトラスはアダーあったよ。あぁ、でもあれパーだよ」 「マスターズカードみたいに、アダーのライセンスカードがあればいいのに」 などなど、ひとしきり盛り上がりました。 きっとこのデッキは大会向きではないのだと思いますが、こうした時間が楽しいんですよね。 悲しいかな、勝つためには優秀な兵器(定番デッキ)が必要なので、自然とこうしたやりとりは少なくなるように思います(いいデッキは他にもあるのでしょうが、作り出すための時間とコストを子どもが負担するのは難しいかな)。 そこがまた、決定的に新旧で異なる点でしょうか。 またまた、これもいい悪いの問題ではありません。 以上です。 長くなりました。 誤解のないように繰り返しますと、ここでは「善し悪し」を論じているのではありません。 このゲームがどういう性格のもので、どのように遊ぶべきなのかを考えてみたわけです。 新旧ムシキングは2つの異なるゲームですから、それぞれの楽しみ方、遊び方がありますね。 選択はこちらがするものなので、それぞれの判断でいいのでしょう。 ただ、ひと言いわせていただけるとすれば、 「少々残念」 ということかな。 以前の「そのシンプルさゆえにみなが楽しめる」という部分を失って得たものは、「試行錯誤によって完成させる喜び」になってしまったという意味で、です。 前者が「多数の娯楽」であるのに対して、後者は「個々の喜悦」といえるでしょう。 これもまたそれぞれの好みの問題ですね。 わが家とすれば… チャンスがあって、子どもたちの戦う姿勢が揃ったとき、また大会には出場したいと思います。 ムシキングでの勝利=1GP。 子どもたちはやはり勝ちたいみたいなので(いいことです)。 今度は、事前の準備をしっかりしてから、ですね。 今回もまた諄かったようです 反省。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Dec 3, 2008 09:54:43 PM
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