テーマ:ヨーロッパ旅行(4253)
カテゴリ:ベルギー・フランス '08夏(途中)
ブリュッセルは知る人ぞ知る、アール・ヌーヴォー建築が今に伝わる歴史の街。
しかしながら、多くは個人所有の住宅のため、今は外から見るだけで、内部が公開されているものは少ないといわれています。 私が向かったのは、その建物内部を見ることができる貴重な館のうちの一つ、Hôtel Hannon オテル・アノン(アノン邸)。 hôtel=(領主の)館、金持ちの大邸宅、ホテル オテル・アノンのステンドグラス 2008年7月11日 アノン邸は、1903年、アール・ヌーヴォー全盛期の時代に建築家ジュール・ブリュンフォー(Jules Brunfaut)によって建てらました。 注文主は、技師であり写真家のエドゥアール・アノン。彼は当時の最高の職人を雇い、この美しい館を完成させました。 残念なことに、今はエミール・ガレによる家具などは失われてしまい、ここには残されていません。 階段 壁面には全面にボードゥアンの壁画が 実にアール・ヌーヴォーらしい、植物のつるのような手すりの曲線 2階から階段下ホールを見おろす 床の模様にも曲線が なんと贅沢な床~! 室内からサンルームを臨む 大ステンドグラス 玄関 ドアの取っ手も実に装飾的 Hôtel Hannon オテル・アノン 外観 1 rue de la jonction 訪れた時に、入口のドアに鍵がかかっていたので一瞬あせりましたが、「ベルを鳴らして」と看板に書かれていたので、無事に中を見学できました。 (英語表示があってよかった!)入館料は2.5ユーロ 個人の邸宅としては豪邸ですが、家具がないのでがらんとした淋しい印象は否めません。 ステンドグラスの素晴らしさ、階段の壁画、装飾の美しさをみるにつけ、もし自分が19世紀末のブリュッセルに滞在し、この館に来客として招かれ、最もこの建物がきらきらと輝いていた時にここを訪れることができていたら…と思わずにはいられませんでした。 一瞬だけタイムスリップし、往時の賑わいの中に身をおいてみたい、と少しセンチメンタルな思いに捕われてしまいました。 ふくろうの家 Les Hiboux オテル・アノンのすぐ隣 55 avenue Brugmann 建物にふくろうの絵が描かれているほか、丸い窓枠はふくろうの目玉のよう。 エドゥアール・プルズネールEdouard Pelseneer設計 avenue Brugmann(ブルグマン大通り)に面した建物 いちばん左端がふくろうの家 中を見学することはできません アール・ヌーヴォーは、1890年頃から1910年までのわずか20年の間に爆発的に流行し、姿を消したごく短い間の様式といわれています。 植物をモチーフにした曲線を多用し、建築では開放的な設計、光を部屋に多く取り入れるために窓を大きく作るなどの特徴がありますが、短期間の流行で終わってしまったのには、その必然…理由があるはずですね。 実際、個人の邸宅として現在も館を受け継いでいる人たちは、その維持に頭を悩ませていることと思います。 「ブリュッセルのアール・ヌーヴォーをめぐる地図」を友人から借り、探しながらオテル・アノンまで来る途中でも、地図には存在していた屋敷が、取り壊されて更地になっているのを目撃しました。 国が管理して整備をし、観光施設として開放するのではなく、個人が住み続け生活をし続けながら美の遺産を持ち続けていくことの難しさを感じます。 開放的な設計ということは暖房費がかかりすぎたのか、他にも様々な理由がありアール・ヌーヴォーという様式が失速してしまったのだと思いますが、ミュシャやクリムトの絵画やポスターを後世に残すのと違い、建物を手入れし、その美を保ち続ける困難さ…。 それゆえ、今に残るオテル・アノンのような館は、より一層大切な遺産に思えてなりません。 「建築」という芸術品を伝えていく難しさ…。それだけに、実際にそれを目にした時の感動はひとしおです。 《25》ブリュッセルで道に迷う! に続きます アールヌーヴォー建築は世紀末に花開いた一瞬の美…と思われた方は ↓を押して応援して下さいね☆ いつもクリックありがとうございます♪ 一日一回カウントされます。よろしくお願いしま~す。 ↓ ↓ ベルギー・フランス 夏のショコラとお菓子の旅 2008 もくじ へ 《ガレットのお菓子日記》 Home へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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