激動の4ヶ月ーまとめ。2004年
脳外科医の扱いについて意見をしたら、勤務中の公立病院から私立の病院に移され、しかも、受け入れ先にも嫌がられていたというホント寂しい状態。教授が口を利いてくれて、その私立の病院は不良医師の僕をしかたなく受け入れてくださった。私立の病院には上司として以前の師匠が勤務されていたが、これまた僕の不徳のため、うまく折り合いがつかず。いいかげん故郷に帰りたくなり、審査員の仕事に集中したいことも手伝って、全く僕のわがままから勤務先の変更をお願いした。そんな勝手なことはいくら教授でも許してくれるわけもなく、ほんとうはしばらく我慢する必要があったのだが、我慢のない僕は受け入れてくださった病院を辞めることにした。審査員の仕事に理解が少ないのも不満だった。僕が辞めた後、その私立の病院は最終的に脳外科医は0になった。例の公立病院も脳外科医は3人から2人、1人となり、もうしばらくしたら最後の一人も辞めて0人になるという。さて、僕の方も医局人事でDrWの病院に行ければ最高だったが、そう簡単には行かなかった。その為、僕はそのまま審査員のみを続けて頑張る形になった。自分のわがままで退職しており、教授にはお詫びの手紙を出し、医局とは離れて暮らすことになった。それでも医師というのはありがたい資格で、そんな僕にも何個かの病院からとても良い条件でお誘いも来ていた。でも、やっぱり、どうせなら、迷惑でなければ、DrWの病院に行きたいなあーと思いつつ暮らしていた。