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教育委員会からの返答において、まず、おかしいと思うのは、 ・小学校長の言い分では、既に一年生は下校させた後であり、また、下校時刻だったため、担任が児童の自宅に家族が居るかどうか判断した上で、下校させた。 の部分です。 我が家については、不在の状況でした。であるならば、担任が、この事実を認識した上で下校させたワケですから、「家人が不在であろうとなかろうと、下校時刻だったので下校させた」ということになります。 この「担任が児童の自宅に家族が居るかどうか判断した上で下校させた」という文章は、意味不明です。 繰り返しになりますが、「不在であっても下校させた」ワケですから、この「判断」には、意味がありません。 ■非常時には、日常では必要とされない、人間としての能力が試される 非常時には、日常とは、全く異なる能力が要求されます。 特に、今回のような、100年、500年に一度の大震災と言われるような場面においては、非日常=非常時における判断能力が必要とされます。 日常において、優秀で、コンスタントに能力を発揮できる人は、沢山居ます。 また、そのような能力を測る手段にも、事欠きません。 しかし、非日常、非常時において、その人の能力を存分に発揮できるかどうか、こうした能力を測る術というのは、少ないと考えます。 私は、これまで、25年以上、空手というものに関わってきました。 フルコンタクト空手の試合、総合格闘技の試合でも、50戦以上していますし、文字通り、命を賭けるような場面にも、何度か遭遇しました。 このような場面、一瞬たりとも気が抜けない、一歩間違えば、自分の命がなくなる、もしくは、一生引きずるような怪我をする、という場面においては、日常の稽古とは異なる能力が必要になる、ということを、よーく知っています。 命を懸けた戦い、とは程遠い試合においても、普段の稽古では、実力のある人が、いざ試合となると、実力の半分も出せずに負けていく、そういう場面を、何度も見てきました。 ですので、普段の稽古で、上手く、強いタイプの人でも、実際の戦いの場面では、どうなるか分からない… そう考えています。 ■非常時には、真のリーダーシップが求められる もう、これ以上は書きません。書かなくとも、言いたいことは、ご理解いただけると思います。 ですが、今回の震災における学校の対応には、本当に失望しましたし、こどもを預けている親として、学校側には、教育委員会からのマニュアルに沿って行動するとか、しないとか、そういう事ではなく、こども達の安全を第一に考えた行動をして欲しい、と切に願いますし、学校長には、真のリーダーシップを発揮していただきたい、そう考えます。 何も、難しい要求ではないと思います。簡単な事です。 学校に通ってきているこども達を、「自分のこども」だと思えば、学校として、どう行動するべきか、の答えは、自ずと明確になると考えます。 それだけの事です。どこに、難しい事があるのでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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