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川柳で人生を二倍に生きる

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2008年01月27日
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カテゴリ:川柳
 絵(特に簡略画や俳画)と川柳、写真と川柳の組合せは、新しい表現世界を生み出してきました。

 漫画家の宮尾しげをは、「川柳の賛に画をつけたものを、川柳画と云う」と定義しています。
 川柳史の中でさいしょに登場した川柳画と呼べるような作品は、明和7年(1771)刊の『誹風柳多留』五篇にあります。

    川柳マンガ.jpg
    Web川柳博物館朱雀洞文庫)蔵

 これは、呉陵軒可有の序文に添えられたものです。
 もっとも、「川柳画」というよりは、当時の川柳風組連の主な名を幔幕に記し、これに
   あぶみへもつもれ初瀬の山桜
 という、おそらく呉陵軒による宣伝的な句を添えたものでしょう。とても装飾的です。
 
 「あぶみ」は馬に乗る時に足をかける部分のことですが、「あふみ」すなわち「近江」につながり、当時大きな取次(これが後に今日でいう吟社のような作家の集まり「連」になります)の名前です。「初瀬」も山の手の大きな取次名。「山桜」は、下谷の川柳風の旗本でもある「桜木」を表しています。いわば、コピー広告にもなっています。
 右から幔幕の名前を挙げると「梅」「籬」「柳水」「水仙」「若松」「兜」「松葉」「錦」「霞」と読むことができます。

 柳多留も五編を迎える頃には、柄井川柳という点者が江戸の前句附界を代表する存在となり、押しも押されもせぬ点者となっていました。この絵からは、その自信が伝わってくる気がします。
 





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最終更新日  2008年01月27日 11時29分57秒
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