バブル崩壊から未来を見る
昨日に続き、バブル崩壊の話です。どのようなことを見て、どのようなことを感じたのか。そして、それらを振り返ることによって、素晴らしい未来を築くにはどうしたらよいかを考えてみたいと思います。 バブル絶頂のときは、学ランを着ていた中学と高校の頃でした。 私よりも年上の若いお兄さん、お姉さんが扇子を持って踊っているのをテレビで観ていたころです。また、日本人初のF1ドライバーの中嶋悟さんがロータスホンダでアイルトン・セナと一緒に闘っていたころです。F1を夜遅くまで観たり、雑誌を買い集めたりしていましたので、かなりF1に詳しかった頃です。記憶に残っているのは、バブルで大きくなった不動産業者がF1のスポンサーになっていたことです。レイトンハウス・マーチというチーム(写真が見つかりませんでした)は、バブル崩壊で資金難に陥り、91年に銀行不正融資疑惑でオーナーが逮捕され、F1から撤退しました。 さて、バブルで欲望に狂った時代の記憶をたどると、お金とは何なのかと思うことがあります。 はじめにお断りしておきたいのが、今から話すことは自慢話ではなくて、私が教訓としていことです。 バブル当時、父が大きな家に住みたがり、何度か家を買いました。住んでいた家はいま思うと異常な高値で取引され、東京から遠い片田舎の一戸建てが当時、億単位の値段でした。物凄く大きな家でした。しかし、いらないものばかりついていました。カラオケ、二階の風呂、庭のウッドデッキなどは使った記憶がありません。その値段で家を買うというのは今になってみれば狂気の沙汰ですが、当時はそれが狂気に思えませんでした。振り返ると、バブルに踊らされたんだなあと思います。 CMなどでは、大きな家を買うことを夢のように描いているけれども、実際住んでみると使わないスペースばかりですし、冷暖房費がかかるだけでした。私の記憶では夏で月に数十万円かかるときがありました。私は冷房が嫌いなので、夏はほとんど家にいません。無駄でしたね。巷では憧れのマイホームなどと言うけれども、本当に価値があるものなのだろうか、もっと他に大事なことがあるのではないかと思っています。価値に対してお金を払ったのではなくて見栄とか欲望のためにお金を払ってしまったのではないか、今、その時点での欲望や欲求を満たすために遣っていたのではないか、と思います。 「大きい家に住む。だから何?」 「高級車に乗る。それが何?」 「いい服を着る。それで何をするの?」 「おいしい食事をする。ふーん」 大きな家に住んでいたときと現在の小さな集合住宅の一室での生活スタイルはほとんど同じです。普段していることは変わらず、本を読む、音楽を聴く、パソコンを使う、風呂に入る、友人と電話で話したり、お客様を招いたり・・・。「人間一人が生きていくスペースというのはこれくらいで事足りるのだなあ」とか「いかに今まで無駄なスペースを使っていたのだなあ」と痛感しています。 毎日、欲望が渦巻く株式市場でトレーディングをしています。価値のあるものでなければ人はお金を払わないし、価値のないものに投機するとあっという間にお金が消えていくのを見ています。お金の価値、お金の尊さが身にしみる毎日です。 また、株式投資で成功している方にたくさん出会いましたが、皆さん共通しているのがお金の遣い方がとても上手でした。「なるほど、そのように遣うからお金が増えるのだなあ」と思うのと同時に、今までの私のお金の遣い方が間違ってたことに気がつきます。 お話を聴いていると、現在と未来の間のギャップを埋めるものがお金であり、そのギャップにいち早く気がついた人がそのお金を得ています。そして得たお金は今の欲望を満たすために使うのではなくて、未来のために遣う。いま友達と遊びたいから遊ぶとか、いまおいしいものが食べたいとかではなくて、未来を築くためのの投資として使うものなのですね。 私は、バブルの前にこのことを知っていればよかった・・・という悔しさと30代でこのことに気づいたのはラッキーだったという思いが入り混じっています。本当は子供の頃に気がつくように周囲が教育するものなのでしょうが・・・。バブル崩壊と、そこから得た教訓はこのようなものでした。