京成小岩から京成津田沼へ行った。
電車の中に図書館で借りた本を忘れ、それが、習志野警察署に届けられ、図書館から、借りている本人に電話がきた。(タイトルにある途中下車ではなかった。あくまでも習志野警察署にいくつもりだった。)
平日の08:30から、17:15に取りに来て欲しいというので、29日に行くと会計課は冬休み期間中となっていた。
新年は4日からとなる。
京成津田沼駅から習志野警察署まで、歩いて20分くらいかかる。
駅に戻る際、習志野警察署からのお知らせです、と放送が流れる。
徘徊する老人についての尋ね人案内がなされる。
どれくらいこの放送が日常化しているのか不明だがどこかを徘徊する老人が増える社会になる。
菊田神社をググると、習志野市で一番古い神社であることがわかる。
弘仁年間(810ー823)に建てられたそうだ。平安時代になる。
この神社にまつわる話で、神社のあたりが入江だったそうだ。
『当時は、この境内地は小嶋であって、この嶋を中心として東西両側は丘で、砂土堆積している入江でありました。住民の多くは西側の丘に住居を構えて生活をして居りました。住民は嶋の上に鎮座されていた御社、即ち久久田大明神を産土神および氏神として奉斎信仰していました。』とある。
京成津田沼周辺で気になったのは農家、庄屋風の2軒の建物である。
このあたりの地主が、土地を切り売りして、京成津田沼周辺が栄えたのかもしれない。
また、駅周辺には高度成長期を支えたサラリーマンが住む団地が、その役目を終えてさらなる生まれ変わるべくリフォーム工事がされていく。
龍寳山東漸寺
この寺も古い。
『習志野市津田沼にある真言宗豊山派寺院の東漸寺は、龍寳山摩尼珠院と号します。東漸寺の創建年代等は不詳ながら、「近世初期にはすでに室町時代には創建されていた」』とある。
この寺の墓地には、墓石を積み上げた石碑が建つ。
おそらく、親戚縁者がいなくなった墓石を積みあげたものだと思う。
永代供養として祖先への祈りが捧げられる場所になっていると思う。
そういった墓石塔が何箇所も墓地内に出来つつある。
それを見ながら2つのことを思った。
以前、イギリスの教会を訪れた時、牧師が、地面の道路に引かれている石版は、誰かの墓石を使用したもので、それらに対して尊敬する気持ちで石版の上を歩いて欲しい、といった説明がされていた。
そこで墓地に積み上げられた墓石のかたまりを見て思った。
どうせなら、100年計画で、この墓所に、アンコールワットのようなマンダラを描けないだろうか。
アンコールワットの第三回廊のように、『四隅と中央には須弥山を模した祠堂がそびえ、本堂となる中央の祠堂は65メートルの高さを持つ。』(ウイック)といった仕掛けが盛り込めないだろうか。
津田沼の町を見渡せる墓石塔を建立する。
踏みしめる墓石に敬意を表し、自分たちの今を築いてくれた先人に感謝をして、さらにこの世の与えられた使命を確認し全うする、そんな、世界軸となる場が必要なのではないだろうか。
クリスチャン的には、ヤコブの梯子である。
天国への階段を登りもう一度、自分のあり方を再確認する。
そんな妄想が頭をよぎる。
寺を出ると、銭湯が、『イベントホールみはし湯』となっていた。
お風呂が自宅にある時代は、銭湯で風呂に入るのではなく、地域交流をしにくる場所に変化する。
京成津田沼で感じる時代の変化は、日本の課題でもある。
リニューアル斎藤湯(日暮里)第三の場としてお湯も全てが生まれ変わっていた。銀針湯めぐり
京成津田沼あたりで、面白そうな店はあるだろうか。
気になるお店があった。
ワイガヤ http://tabelog.com/chiba/A1202/A120204/12033864/
ロングホーン http://president.makusta.jp/e134870.html