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カテゴリ:静岡
焼津にて
焼津に出張が決まって、取った宿は、海が目の前にある民宿柳亭である。 当目浜がある。 暗くなって宿に到着して、風が強く、雨も窓を叩く程で外にはでなかった。 連日の仕事疲れもあり、風呂に入って、ご飯を食べて、直ぐ寝てしまった。 夕食は、鮪のかま焼きを食べた。しっかりと焼かれた、絶妙な焼き加減で、食べごたえのあるかま焼きだった。 刺身もよかったが、焼津は鮪である。町に鮪が溢れているので、板前の鮪の取り扱いの経験値が高いと思う。 泊まって気がついたのは、この民宿柳亭は、1階が、料理屋で、2階が宿泊施設で、3階が家族の住居になっている。 恐らく小学生の子らしきが、3階から1階に向かって「おふろ入ろうー。」と声をあげ、お母さんが、「今日は、お客さんがいるんだから。」などと声を抑えて答えている。 それが、微笑ましくあり、誰かの家にお邪魔している感覚が起きる。 焼津の生活に自分が入り込んだ気にもなる。 朝の時点で、雨も風もあり、昇る朝日を拝むことはできなかった。 2階の窓を開けるとくすんだ当目浜が見える。風が強い。 潮風と波の音が近い。 朝食は、鯵の干物だった。 昨晩は、鮪のかま焼きだったので、焼き物が続く。夜は刺身にすればよかったかもしれない。 朝食を食べながら、板前でもある宿屋の主人と話が始まった。 お父さんが宿泊施設を経営され、兄が継ぎ、ご自身が焼津に民宿を開いたこと、食べている鯵の干物がこだわりの干物で、何十年も使うタレを付けて干されること、当目の浜が夏の海水浴場で賑わうこと、マグロの質が昔は良くなかったこと、トラックの冷凍マグロが道に落ちて拾って食べたこと、はごろもフーズの下請け缶詰工場の話、台風後に浜へ流木を拾いアート作品を作り始めていること、フランス人が泊まり刺身の食べ方を説明したことなど色々伺った。 窓越しに外は少し強い陽射しが照りつけ始めた。 「散歩でもしたらえいんや。」と静岡弁で言われた。 食後の散歩で当目の浜に出た。 海抜8メートルの標示のある堤防へ坂を上り、階段を使って跨ぐと、近所のおじさんおばあさん達が、堤防外側のグランドで、ゲートボールをしていた。 散歩で、浜を歩くおじいさんもいる。 砂地と砂利の浜をすたすた歩くその脚力が凄いと思った。 足が砂地にめり込み歩く抵抗が舗装路とは違う。 焼津の高齢者は、荒海や砂利浜で、足腰や根性が鍛えられている気がしてきた。 当目の浜の沖合いには、並み消しテトラポットが帯状に積まれ、浜を囲むように、巨大なコンクリートブロックも置かれている。 そのコンクリートブロックの外は荒海である。 焼津の海の荒らさを体感する。 宿屋の主人と焼津に人を集めることを考えて、当目の浜を歩きながら、ふと、思ったのが、焼津で水切り大会を開くのはどうだろうか。 転がる石が円盤状で、水切りにちょうどいい。 もしくは、この石を水切り石として販売するのはどうだろうか? 宿屋の主人の話では、自転車で東京から京都まで、海沿いを旅する人も泊まったこともあるらしい。 海沿いの宿は海岸線を行き交う旅人を惹き付けるのかもしれない。 その昔、当目の浜も御伊勢参りに行き交う旅人で賑わったのかは定かではない。 この宿の経験があったお陰で、この後に行く焼津小泉八雲記念館で知った八雲の滞在した焼津がより深く理解出来た。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.11.20 19:51:23
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