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カテゴリ:静岡
焼津小泉八雲記念館 焼津小泉八雲記念館で、リーフレットを入口で手渡してくれたのは、美人学芸員の那須川絢子さんだった。 後からネットで調べて彼女の専門性やイベント開催などの活動内容を知って、八雲と焼津をつなぐ活動を積極的にされている。 そんな八雲専門家の那須川さんと、西インド諸島での八雲や、左目を失明して、ちょっと引きこもりで人付き合いが限定していたことや、この10年で、八雲の全ての作品が世界で再評価される動きがあることなどを話した。 八雲が生きた1850年から1900年までの西欧は、キリスト教とは異なる文化圏に繰り出す動きが始まる半世紀でもあった。 自分が八雲について、ただの日本好きではないと気がついたのは、ラム酒を調べていた時に八雲のマルティニーク島滞在記を手に取った時である。 その内容は、詳細な現地調査であり生活の内側に入り込まないと見えない内容である。 八雲を大英帝国のスパイと思ったのは、そのレポートの正確さによる。 那須川さんにスパイ説を話すとは、真面目な顔で、「違うと思います。」と否定された。 アイルランド人の父とギリシャ人の母をもつ八雲は、両親の異なる文化背景からくる異文化の違いを敏感にも感じるセンサーを発達させていたのかもしれない。 その八雲の異文化受容センサーが、マルティニーク島や日本で最大限発揮された。 それらが、八雲の文学作品として結実する。 また、幼少期に母に捨てられ、おばあさんに育てられて感受性が鋭くなったところなど、ミミ伯母さんに育てられたジョン・レノンと似た境遇が重なる。 母への強い憧憬は、犯罪者か芸術家を産み出す爆発力になると思えて仕方がない。 自分が宿泊した民宿柳亭は、ちょうど一階が、料理屋で、ニ階が宿泊施設で、八雲が泊まった山口乙吉さんの家の様でもある。 宿屋の主人と八雲の時代の乙吉さんが重なって見える。 http://plaza.rakuten.co.jp/genesisi001/diary/201611100000/ 小泉八雲の焼津滞在を深く理解出来る宿として、民宿柳亭をお薦めする。 焼津に住む板前の主人の人柄と、当目浜の荒々しい海を同時に触れることで、何かしら八雲が感じた焼津を追体験出来る気がする。 焼津滞在の小泉八雲につながるアイテムは、焼津の石である。 海岸に広がるこの石と焼津の荒海は、八雲の故郷につながる。 八雲の焼津作品は、以下のサイトで読める。 https://www.city.yaizu.lg.jp/yaizu-yakumo/sakuhin.html お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.11.18 10:58:11
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