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※今、ネガっているので、引きずられたくない人はご注意を・・・
幸せになるためには、食べ物を完璧にコントロールすることが必要だと説く人。 息子のアトピーを治すためには、食べ物を完璧にコントロールすることが必要だという、至極まっとうに見える説。 近頃こういうものたちが私の現実に現れてくるのは 私が「食べ物を完璧にコントロールしなくちゃいけない」と深い深いところで信じている、 そのことの、現実化? そうであってほしい。 ただの私自身の反映であってほしい。 ちょっと自信がなくなると、私はすぐそれが絶対の真実なのだと思ってしまう。 そして私は永久に幸せになんかなれないか、 もしくは幸せと引き換えに自分のあらゆる欲望を手放さなくちゃいけないのかと、 どっちにしても絶望してしまう。 または「できそうな気がして」全身のあらゆるエネルギーを集めて変なテンションを作り出し 数日後にドッと落ち込んでしまう。 やっぱりできなかった自分をどんどん嫌いになってしまう。 みんなが私に近付かないのは、私が太っていて醜いからだと確信していた5歳の私。 痩せたらきっと私は何もかも大丈夫で、 痩せたらその時から私の人生がやっと始まると信じていた10歳の私。 私はずっと、自分が本当に欲しいもの、得られないものを見ないようにするために 食べ物と戦うことだけに専念してきた。 もし私が痩せても特に誰かに愛されるわけじゃなく、 そこから楽しい人生が始まるわけじゃないと知っていたら、耐えられただろうか? 耐えられなかったんだろうなー。 私についている脂肪が問題なんじゃなく、 私という存在そのものが愛されていないなんて、そんなこと誰が信じたいだろう。 大人になって、そんなことあるわけないと頭で分かっていても 私の中の小さい人は、一粒の砂糖が、一滴の油が、 チョコレートやマヨネーズや脂の乗った肉が、 人生をめちゃくちゃに破壊してしまうと信じている。 小さい人の声は、冷静な大人の私なんかより、ずっと私の人生をコントロールしている。 大人の私が望む幸せで平穏な生活より、 小さい彼女の信じる恐ろしい世界の方が、どんどん私の現実を作っていった。 砂糖を抜かなければ立ち直れない体調になるまで。 息子が除去食を必要とするアトピーになるまで。 私は、私の食べたいものを食べても大丈夫。 何百回でも自分に言ってあげたい。 吐かなくても大丈夫。 何千回でも。 私は私の食べたいものだけを食べる。 体にいいものじゃなくて。 幸せになれるものじゃなくて。 健康になれるものじゃなくて。 非難する周囲の声は、マボロシだと思いたい。 私がヘルシーな、とってもヘルシーなものだけを口にしている日々が来るとすれば、 それが「本当に食べたいから食べている」日々であることを切に願う。 食べ物が健康や幸せを左右することが、ある程度真実であっても 自分の欲望を素直に満たすということをまだ覚えていない私が 一足飛びに聖者のような食生活をすることは、できない。 どんなに体に悪そうでも、今の私のありのままの欲望を満たすこと。 決して溺れるのではなくて。 満足するまで食べて、それでおしまいにすること。 そこを通らないで、そういう最低限の幸せさえ自分に与えられないで、 何がベジタリアン? 何が除去食? もう嫌だ。食べたいものを我慢するなんて。 せっかく食べても吐かずにはいられないなんて。 食べたくないものを食べなくちゃと頑張ることも。 本当に嫌です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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