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お墓で New! mamadocterさん

2008.06.29
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カテゴリ:カテゴリ未分類
このごろ私の中で、少しずつ変わってきたことがある。

「上手じゃなくてもいい」という感覚。

私は昔から「上手くやろうとする」子供だった。
画家だった祖父が、私の描く絵を見て「子供らしくない」と言ったのを覚えている。
何歳の頃からだろうか、私は既に「上手に描こう」という思いで絵を描いていた。
「もっとのびのび描けば」と言われても、どうすればいいのか分からなかった。
自分としては、それが自然体だったからね。

小学校の時は図工の時間が何より好きで、絵を描くのは本当に幸せだった。
今になって見ても、当時描いた私の絵は「うまくまとまっている」。
子供のくせに、妙にリアル。
でも、画面からはみ出すような、子供特有の勢いがない。
本人楽しんでたんだけどね!

歌を歌うのも好きだった。音楽の時間は楽しかった。
中学では合唱部に入ってすごく楽しかったけど、
私は歌が上手ではないから、誰にも私の歌を聞かれたくないと思っていた。
合唱なら私の声だけが目立つことはないから安心だ。

高校の頃、友達が嫌がる私を無理やりカラオケに誘い、
絶対イヤ!歌わない!と言い張っていた私もついに折れ、歌った。
気持ちよかった。
それからは学校帰りに毎日カラオケに行くほどのハマりようだったけど、
私はいつも「上手に歌おう」としていた。
いくつかの歌は「目をつぶって聞いたら本人かと思う」と言われるほど
完璧に声真似をマスターした。
上手に歌えない歌は歌わなかった。

私は料理をする時、いつもピリピリしている。
持てる全ての力を注いで最高の料理を作ろうと神経を尖らせ、
出来上がったものは最高のタイミングで食べてもらいたいと強迫的なまでに思う。
細かい所に気を使いすぎるので、時間もかかるし疲れる。
そして「料理中の私は機嫌が悪い」ので、夫も近付かない。
(一応言っておくけど、これでも料理は好きなのだ。むしろ好きだからこそ?)

そういえば英語だってそうだ。
必要に迫られれば喋れるくせに、上手じゃないからって喋らない。
喋ろうとしても喉のところでウグググと引っかかってしまう。

私は失敗が嫌だった。いつでも。
下手くそな自分を許せなかった。
良い出来を期待できないなら、最初からやらないことを選んだ。

私は、とにかく自分が嫌いだったのだ。
いわゆる「ありのままの自分」というやつを、受け入れられなかった。
自分が決めた価値観の中で「うまくやれてる」時の自分しか愛せなかった。

(※ちなみに、あくまで自分の価値観だけなので
自分がどうでもいいと思ってるジャンルに関しては、完全に無頓着。
たとえば数学とか経済とかスポーツとか、全く興味ないので、
分かるようになりたいとも全く思わない。
つまり・・・自分はココでは負けたくない、という得意分野のみ力みがち、なんだなー)

私、それなりにやれてるんじゃない?
と思えてる時の私は、それなりの自信を持てていた。
でもそんな薄っぺらな自信は、ニセモノだった。
うまくやれなくなった途端、崩れ落ちる幻想だった。

ここのところ何度かボイスヒーリングを受け、
自分でも家で自由に声を出すようになった。

ただただ気持ちいい声を出す、メロディなんかあってもなくてもいい、
その感覚はすごく「生きている」感じ。
ただ生きている。それだけ。
美しくなくても、整ってなくても、誰かに喜ばれなくても、
腹黒くても、傲慢でも、怠け者でも、こんがらがってても。
それでも生きている。ありのまま。

私は自分の魂が喜ぶ声を出せるようになった。
死んでいた何かが生き返ったような感覚。

ただ生きてる。それだけでいいんじゃない?
いのちは、ただいのちというだけで、喜んで、躍動してる。
そこをあれこれ制限して、抑えつけてしまったのは私だった。
死にかけていた私のいのちが、声になって溢れ出てきた。

絵と英語は今のところ、まだなんだけどねー。
料理は最近、だいぶテキトーになってきたよ。
野菜の切り方とか、すんごい雑に。
タイミングとかも、何も考えなくなったかも。

あっちでボーボー火を噴いてても、こっちでゴボゴボ吹きこぼれても、気にしない気にしない。
歌いながら作っている。
おいしく作ろう、という力みを手放した。

これが意外と、力んでた時より、いい出来になることが多い!
一回も味見せずに作った煮物が絶品だったり。

私は悪い意味で、自分に厳しすぎたよ。
このこだわりがちな性質が、役に立ってきた部分もあるかもしれない。
上手にやろうと頑張ったから、実際上手にできて、良かったこともあるだろう。
でもさ、疲れたよ。私いつでも疲れてたなー。

最近、すごくホワッとして、生きてるのが楽なんだ。
いいじゃんいいじゃん、こんな私でもいいよ、と思ったらすごい楽。

あ、そういえば最近、夫の下手くそな歌にイラつかなくなりました(笑)
なんでこんなにイラつくんだろう、ってずっと謎だったけど
自分に許してないことは他人にも許せないってやつだったのね・・・。
上手じゃないとダメ、だったんだ。無意識だったけど。
そんなわけで、夫と毎日のように楽しく歌ってます。

料理もほんとに長年の謎だったのよねー。
好きなのに、なんでこんなにイラつくんだろうって。
そんなに神経質にやってる自覚、全然なかったから。

でも遊びに来た友達と一緒に餃子包んでた時「あれ?」って。
私はいつも、美しくびっちりとヒダを寄せ、
一滴の汁も漏れないように隙間なく密封・・・
かつ潰れすぎたりもしないように完璧な力加減で接着・・・
みたいなことをやっていた。
が、友達はかなりテキトーにホイホイと、隙間だらけ。
「えっそんなんアリ?」となかなかのカルチャーショック。

別に意識して完璧主義やってたわけじゃないのよ、本当に。
私にはそれが普通だった。
でも、私の「普通」は、もしかして一般的な「普通」より
だいぶハードル高いんじゃないかと、その時思った。

で、以来軽く意識して、野菜の千切りとか超ぶっとくしちゃったり
調味料もちょっとずつ入れずにザッパーン!ドッバー!あははは!
口に入れば何でも一緒一緒!
みたいな感じでやってみたら、意外といい出来なんですわ・・・。
あ、見た目は多少落ちますけどね・・・。

いろんなことが、
私の「上手くやろうとする癖」を壊す方向に働いてるみたい。

こうやって下手くそに歌って
ガサツに料理して
英語もテキトーに喋ってみたり
どうでもいい絵を描いたり
食べ過ぎてもまあいっかと笑う

ことによって
今までの自分の枠が壊れていく感じ
にすごくワクワクします。
少しずつ、自分と世界が溶け合っていくような。





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最終更新日  2008.06.29 13:37:40
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