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モモ生後半年目の「悪い母ちゃん」事件以来、
ありとあらゆるジャンルで私が学ばされていることは・・・ 難しく細かく書こうと思えばいくらでも書けるのだけど 単純にさくっと書くならば 自分の「悪いところを改善」したり「良くなることを目指す」のではなく いかにありのままを受け入れて肯定していくか、 という、本当にたったそれだけのことに集約されると思う。 これってあらゆる人があらゆるジャンルで陥りがちな罠なんだと思う。 今まさに人間関係で、健康問題で、仕事の面で・・・何か困ったことが起きていたら その不快な状態を何とかするために、人はついつい 「解決策」を探して「問題を解決しよう」としてしまう。 または問題を「なかったこと」にして、抑圧&先送りしてしまう。 でもそれって病気で言うところの対症療法でしかなくて。 一時的にはどうにかなっても、必ず後で無理が生じてくる。 本当はどんなジャンルのどんな問題でも 根本的には「自己否定」から発生しているのだと思う。 自己否定は同じ分だけ他者否定を生じさせ、同時に世界を否定することになる。 悪い自分が悪いんじゃなくて、悪い自分を否定するから困ったことになるだけ。 自分を受け入れた分だけ、世界は美しく楽しく見えてくるだろうと思う。 悪いものを排除して良いものだけに囲まれようとするのは、所詮無理なこと。 フタをした「悪いもの」が、遅かれ早かれ逆襲してくるだろう。 それまで抑えつけた分だけの凄まじいパワーで。 本当は悪いものなんかないんだ、と全てを肯定できた時 そこに見えてくる世界の美しさが多分「ほんもの」なんだろうと思う。 かといって「全てを肯定できない自分」を否定してしまっては、同じこと。 最終到達点は「全肯定」だとしても、全肯定できない自分もまた全肯定! 全肯定できない自分を全肯定できなくても、そんな自分もまた全肯定!(笑) ひたすら自分に甘くやさしく、徹底的に。 否定したり、もしくは「全肯定できてるフリ」をしたりしないこと。 とにかく今!ナウ!そこにある現時点の自分の感情、を否定しない。 そして実はタチが悪いのが、意識的な否定よりも無意識の「抑圧」だ。 そう、「悪い母ちゃん」の時に発覚したみたいにね。 子供って親の抑圧のフタを、ばしばしと破壊する天才だ。 おそろしや~&ありがたや~。 どんなに理不尽で醜くても、怖くてもワケ分かんなくても、 信念・観念・偏見・理想なんかで感情を潰さないこと。 そこからしか自分の奥深くにもぐっていくことはできない気がする。 自己否定って奥が深いというか、何重構造にもなってますなー。 去年の9月から始めた砂糖抜きも、いい経験だった、というか今またやってるけど。 砂糖が悪いんじゃない、砂糖を排除するのが正解なんじゃない、 そこは最終到達点じゃない。 いかに私が恐怖心を持って砂糖を摂っていたか、 そして恐怖するあまりに逆に砂糖に執着していたか、 その結果としての今の砂糖アレルギー症状なのだと思う。 何かを食べていたら健康になれない、とかその手の説を 私はもう心底から信じることはないと思う。 それはその観念を信じている人にとって「だけ」の真実。 わざわざその限定された観念の中で暮らすことを選びたくない。 あとはもう、潜在意識レベルの恐怖心と、いかに向き合っていくかだなー。 長い道のりだろうけど、私はもうゴールについて考えるのをやめようと思う。 なぜだか知らないけど、島滞在中に、どこかゴールを急いでいた力みが解けた。 いいんだ、もう大丈夫、私はずっと目の前だけを見ていればいい、と 言い知れぬ安心感に包まれた。 砂糖抜きに際してはお世話になったEさん(今やイニシャル表記・すんません) 自称「悟ってる」そうで、そこんとこが「ほんまかいなー」とずっと引っかかってたんだけど・・・ うーん、どれだけ考えても、あれは悟りじゃないんじゃないか、と思う。 ご本人の心の中は知りようがないので勝手な推測だけど 悟っている人ってあんなに「ああすべき」「こうすべき」と言わないんじゃないかな? あれって悟りの方向でなくて、全てをコントロールして幸福で塗り固める、 つまり超一流の抑圧スペシャルな感じなんじゃないかと・・・ そうだとしたら、そのうち何らかの形で「逆襲」が来そうなものだけど 今のところそんな話は聞かないので、よく分からんです。 まあ分からん他人のことを考えても仕方ないので、自分のことに励もう・・・ と思いつつ、つい考えてしまうのは何故だ。 しかし楽天の「アセンション達成者」さんたちも、よく分からんけども 時々ちらほらと同じ匂いを感じたりもします。 特に印象に残ってるのが、少し前にどなたかが書いていた 「ディセンションを恐れなくていい」的な記事だな~。 そんなん当たり前じゃん、というかディセンションを恐れてる時点で それって全然アセンションじゃない、ばりばり抑圧番長じゃん・・・と。 踏み外さないように注意が必要な幸福なんて、ウソじゃない? どこをどう踏み外しても大丈夫、な安心感こそが幸せってもんじゃないのかな。 が、やっぱり他人のことはよく分からんので、 ご本人が楽しいならそれはそれでいいとして、 私は使える情報だけおいしくパクらせていただく次第なのでした。 何にしても自分の道は自分で歩くしかないもんね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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