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やる気 New! mamadocterさん

2009.06.17
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カテゴリ:カテゴリ未分類
夕焼けとその影、
遠くの飛行機の音、
道を歩いてるダンゴ虫とか
子供の手のぷにぷに、
そこらに咲いてるかわいい花、かわいくない花
そこらを歩いてるかわいい猫、かわいくない猫、
よくわからない長いヒモが落ちて濡れていたり
地面にちょっとした穴ぼこが点々と連なっていたり
夜のなまぬるい空気の感触・・・

そういうもの、まったく意味のないただの景色が
昔に比べて圧倒的に「入ってくる」ようになった。
見えるし聞こえる、感じる。

緊張して、いっぱいいっぱいで
いつもどこかに向かおうとしていた時は
まわりの景色なんて視界に入っていなかった。

アガりまくって立った舞台で必死で何か喋って
そんな時に会場の様子なんて全然目に入ってこない、
後になっても全然覚えてない、それと同じかもしれない。

子供の頃から、やたら記憶が薄いのは、そのせいなんだな。
みんなが覚えていることを、大抵私だけ覚えていない。
気持ちの余裕がなかったんだ。

モモがお腹にいた時、妊婦は毎日3時間散歩!と言われてものすごく困った。
あの頃は過食もおさまっていて、だいぶ精神的に安定してた時期だったにも関わらず
私は何の目的もなしに、買い物に行くとかでなしに
「ただ歩く」ということができなくて、本当に全然できなくて
ちょっと頑張ってトライはしてみるものの
5分も歩くと退屈のあまり発狂しそうになり、どうにもダメだった。

しかも困ったことに、お腹の赤ちゃんのための散歩は
何の目的もない、買い物のついでとかではない、
ただ歩くためだけの純粋な散歩でなければならない、と言われていたのだ。

歩くこと自体はできる!
3時間かかるスーパーに向かって歩くのだってできる。
でも目的地をなくしたら、途端に発狂だった。
「景色を味わえばいいのよ」なんて言われても、景色になんか何の面白みも感じなかった。

いつもどこかに向かわなければと無意識に焦っていて、
頭の中の「目的」とか想像の世界とかだけに住んでいて
いま自分がいるその場所を、落ち着いて味わうことなんかできない、
そういう生き方だった。
身も心も激しく前のめりでガッチガチだったのだ。

今なら分かる、お腹の赤ちゃんにとって何より嬉しいのは
母ちゃんがゆったりと今を味わえる、ゆるんだ心と体でいること。
そのままの自分で大丈夫だと安心して、感覚を開いていること。
「3時間歩く」その運動効果なんかよりも
「ただ味わう」その感覚に専念できる時間が必要だったのだ。
瞑想みたいなもん?

できなかったなー。

もちろん、ほんのたまに偶然、そういう時間は訪れた。
あまりに数少ない時間だったのでよーく覚えている。
でっかい腹でプールにぷかぷか浮かんで、窓の外の夕焼けを見ながら
「プリさん(←モモ)夕焼けだよー、きれいだねー」なんて呟いてた時とか、
あの時住んでいたマンションの高層階の狭いキッチンで
夫と流しの前に立って必死でスイカをむさぼっていた時とか。

「今」にいることがほとんどなかった私にとって、
そういう珍しく「今」にいた時間は強烈な記憶になって残っている。

最近はそんな時間が、日常になってしまった。
毎日のいろんなことがぐっと鮮やかに自分に入ってくる。
見えてる世界が、昔と全然違う。

もちろん、目的に向かうことがなくなったわけじゃ全然なくて、
でもその「目的」と「今」が逆転した感じ。
今が基盤になって、そこから自分が行きたいなーと思った時だけ
目的に向かって動く、という感覚かな。
強迫的な感じがなくなった。
たまに強迫的になることも、焦ることもフツーにあるけど、すぐ戻ってこられる。

あ、その前に一時期、ひどい時期があったな。
眞手が生まれて数ヶ月間の、あの発狂してた時期。
あの頃は人生で一番いっぱいいっぱいで、
それこそ自分の頭より外側のことは何一つ入ってこなかったし、
無理に感じ取ろうとすると爆発しそうに辛かった。
「待って!無理!何も入らない!」という感じ。

自分の内側が「ねばならない」「べき」「こうありたい」とか
そういう諸々でパンパンになっていて、もう限界だった。

誰かと喋るのも、子供の世話をするのも、何もかもいっぱいいっぱいで辛かった。
音楽なんてとても聴けなかった。
食べ物の味も分からなくなっていた。

いったん極限までいっぱいいっぱいになって
そろそろいい加減、自分の生き方おかしいだろ、と気付いたからこそ
今のラクな自分になれたんだな、と思う。

いろんな意味で、子供が生まれたのは必然だったな。
子供が生まれて究極のいっぱいいっぱいを味わわなかったら
何となくそのままだらだら生き延びて、何となくいつも不幸だけどそんなもん、
という感じだったと思うから。
子供に感謝。ほんとに。

モモだけでも結構キテる感じになったけど、眞手の追い討ちがマジで効いたよ(笑)
さて、ぷにぷにの人たちを迎えに行ってきます。





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最終更新日  2009.06.17 17:34:47
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