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カテゴリ:うたうこと
人前でのパフォーマンス、人前で自分を開いていくこと、が
ものすごくテーマになってる感じの今日この頃。 ベリーダンスのハフラがあったり、ショーに飛び入り参加したり、に続いて ばっちりのタイミングで2度目の「魂うた」、参加してきました。 初参加の時は、もうとにかくみんなの前に立っただけで怖くて怖くて すくんで、震えて、怯えて、どうしようもない状態。 もう消えてしまいたいような感覚から、やっと何とかビビりつつも ともかくは「みんなの前で声を出す」というところまでは辿り着いたのでした。 そりゃーもう、消え入るような声だったけどね。 そう、あの時はすごく悔しかった。 本当はあんなもんじゃないのに。 私の中にもっと、燃え上がるような、表現したくてしたくてたまらないエネルギーがあるのに 全然それを開けなかった、不完全燃焼だったのが悔しくて。 さて今回。 立て続けのダンスの後だったので、もうあの時ほど緊張しないだろうな、と予想してたけど いざみんなの前に立ってみたら予想以上、ほとんど緊張してない自分に驚き。 みんながこっちを見ている、でもその視線が怖くない。 見てくれていることが嬉しくて、幸せで。 ちゃんと一人一人と目を合わせることができる。暖かいものを感じる。 が、しかーし、声を出してみると、あらーやっぱり、へなちょこな声しか出ない。 みんなの前で「そこにいる」ことはクリアしても、声となると、、、 まだまだ途端に萎縮している私。 そみさんが「シャウトで!ロックンロールで!」と横でけしかけてくれる。 私が歌ったのは「真夜中のギター」、全然シャウトでもロックンロールでもない曲なんだけど(笑) もうとにかくやけくそに全力で、シャウトでロックンロールしてみる。 人前で簡単にやけくそになれる程度には、タガが外れてきている私。 足を踏み鳴らして練り歩いたり、その場で踏ん張ったり とにかくぐぐっと下の方から絞り出した。 すぐに、声のタガも外れた。 途中、そみさんが何か不思議なことを言ったのを覚えてるんだけど 内容が何だったか思い出せない。 「そこの空間に、みんなの何とかを集めて、ほにゃらら、、、」とかだったような。。。 何だっけ、場を変容させて、とかそんな言葉だったかな? 「えっなになに?分からない」「分からなくていいから!」 というわけで、分からないなりに、そんな「つもり」で歌ってみた。 内にあるものを全力で投げかけて、そこにいる全員と、本気でつながる感じで。 すると、、、 全然、いい声とか上手い歌い方とかができたわけでもないのに ものすごく気持ちよかった。 初めて本当に、自分を開くことができた気がした。 そして見てくれている人が、うぇーんと泣きだす声。涙ぐんでいる顔も見える。 私も、震えた。 殻が破れて、何かが開いて、生まれ出る時、 それは本当に、リアルな出産の現場に似ている。 初めてそみさんのワークショップに参加した時に思った。 そみさんは名・助産婦なんだ。途方もない愛をもって、誕生の瞬間に立ちあって、サポートしてくれる。 そして何かが生まれる時の理屈じゃない迫力、 いのちの震えのようなものは、その場にいる全員を震わす。 魂うたって、そういう感動の瞬間が何度も何度も訪れる、ものすごいワークショップ。 そんなこんなで、当面は上手に歌うとか何とかは忘れて とにかくシャウトでロックンロールな感じで(笑)リミッターを外すことだけを 自分に課してみることにしました。 ここらへん、すごーく疑問だった部分なので、ほんとによかった。 「声」に関して、自分なりに数年間色々やって向き合ってきたけど 何をどうしたら先に進めるのか、よく分からなくなっててね。 とにかくまず「声を出す」ことそのものにブロックがある、 下の方に渦巻く巨大なエネルギーを、全開で出すことに抵抗がある。 だからそれを打ち破るようにひたすら全力でシャウトする、のも試みていた。 かと思えば囁くような小さい浅い声でも、すごく気持ちよく歌える時もあるし 声のコンディションというのはとにかく毎日違う。 そしてまた色んなモードの自分、優しかったりかわいかったり強かったり乱暴だったり、本当に色々な自分がいて。 それをどっちの方角からどういう風に、統合したり前進させたらいいのか分からなくて。 とにかくまずはブロックを打ち破るのが先なんだな、と分かったのが大きな収穫だった。 突き抜けて突き抜けてしまえば、あとは色々なモードの自分を統合していくこともできるかもしれない。 、、、と 自分の番はわりと早くに終わってしまって、 その後たくさん見た、他の参加者さんたちの数々のドラマが もう濃すぎて濃すぎて、実はこれでも自分の分の記憶はだいぶ飛んでます。 皆さんほんとにね、すごかったよ。 とてもじゃないけど書ききれません。ぶはー。 一つすごく印象に残ったのは、いつどんな状況で出てきたのか忘れちゃったけど そみさんが言った「歌うのは、自己耽溺だ」という言葉。 うわー、それだ!!!と思ったのよね。 人前で気持ちよくなってはいけない。 人前でコントロールを失ってはいけない。 という、強烈な抑圧があるなぁと。 歌ったり踊ったりすることへの抵抗は、大部分これかもなーという感触。 そうなのよ、歌ったり踊ったりって、すごく気持ちいいでしょ。 それを人前でするのって、えーと敢えてこんな表現しちゃうけど 「公開オ○ニー」みたいなもんじゃない? って考えると、そりゃ抵抗あるのも頷けるよね。。。 あらゆる表現って、根っこはセクシャルなエネルギーなのに その気持ちよさ、性的な側面は、社会的に「見せてはいけないもの」という 強烈なタブー感がある。 そこを抜きに表現することなんか、ほんとはできないのに。 性エネルギーの解放がテーマだからこそ、私もベリーダンスという すごくセクシャルな部分を前面に出したダンスに、心惹かれてるんだろうね。 何せやっぱり、ベリーダンスを初めて見た時の感動って 「性エネルギーは、出してもいいんだ!見せてもいいんだ!それは美しいもので、喜びなんだ!」 というところに尽きる気がするもの。 えーと今回の魂うたについては、ほっといたら3日くらい語れそうな気もするんだけど 結構いい時間になって参りましたので、本日はこのへんでー、おやすみなさーい! いやいやほんと、最高でした。 もうね、まずね、そみさんが最高よ。ほんと大好き! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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