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カテゴリ:コラム・えっせい
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11月8日 鳥居の傍らに、由緒書きの札がありました。 「神宮皇后が船でお着きになられたとき、お迎えに出られたナントカヤマト姫のミコトとナントカ姫の姉妹二人に『此処は何処か』と訊ねられた。『フタミです』と姫達は答えた。『では此処を二見が浦としよう』と皇后が仰せになり、以来『二見が浦という名称になった』と書いてありました。 おかしいではないですか。二見という地名がすでにあったのなら、そこの浦は二見が浦でしょうに。皇后がわざわざ決めなくても。私は、二人の姫が出迎えたとき、皇后は「ほかは?」と訊ねられたのだと思います。で、姫たちは「二人です」と答えたのです。それで「二人が浦---------いつの間にかふたみ--------二見が浦」になったのだと。 とにかく鳥居を潜って入りました。手洗鉢はカラカラのどろどろ。怪しい風が林から吹いて来ます。左側が社務所。斜め向かい側が本殿。汚れた本殿で、汚れたお賽銭箱がでんと置いてありました。鳴らす鈴もありません。10円玉を投げ入れると、カランと空ろな音がしました。長いこと、誰も手を触れていないようです。ご神体が何方と書いてあったかまでは読んでいません。とにかく、柏手打って拝みました。 「また栄えてください」 「栄まさんこと、まさに天地の極まりなかるべし」なんて言葉がちらと思い浮かびました。この荒れた神社が栄神社という名前とは、不思議なことです。社務所をとっくり眺めました。誰も住んでいるようではありません。庭のそこここに、ツワブキの黄色い花が3、4本づつ、寂しそうに咲いていました。一人で住んで神社をお守りしていた歳とった神主さんが、ある日ひっそりと死んで、村人が気付くまで1か月も経っていたのではないかと思いました。そうですよ、きっと。それで後へ来る神主さんがいないのです。夜はもっと怖いのです。若しかしたら、何代も孤独死の神主さんが続いたのか? 「コワイお宮さんやった」 車に戻って言いました。ショータンは判っていたという顔で、「そうやろ」と肯きました。「なにか、付いて来るぞ」 「私はお賽銭あげて手ェ合わせたのに、付いて来るとしたらあんたにやわ」 細い道を戻ると、さっき通り過ぎた石段が左手の家と家の間に見えました。ショータンはすーっと通り過ぎましたが、ちらっと字が読めました。 「あ。あれが大江寺や」「寄るんか?」 車を停めて、そのままブーッとバック。かなり長い石段です。道の右側に、駐車場がありました。そこへ車を駐めて、石段に向かいました。石段の右は普通の家ではなく、『十体仏堂』と書かれた大きなお堂でした。 石段を半ばまで登ると、作務衣を着た青年が石段や植え込みの落ち葉を掃除していました。ショータンが、「ここは有名なお寺ですか」と訊きました。 「この辺では、みんな知ってるお寺です」 更に登りました。『南無千手観音菩薩』と書いた赤い幟が数本立っています。大きなお賽銭箱の上に、緑と白の長い布を垂らした大きな鈴がありました。ショータンが珍しく自分のお金を出してお賽銭箱に入れ、鈴をガランガランと鳴らしました。神社から付いて来た神主さんの霊を、千手観音さんに取って貰おうというのでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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