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カテゴリ:コラム・えっせい
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22.12.28 おむつ交換は、4人のナースが来て、入り口側から始めるのですが、母はそれと察して言いました。 「点滴の針、抜いてもうて」 私がナースに伝えると「はい」と詰所へ走って行き、婦長ともう一人応援を連れて来ました。私は部屋の外へ出ました。 手でも足の甲でも肩でもなく、管は鼠蹊部に埋められているのだと、姉が言っていました。 シーツ交換で外へ出されたおばあさん達が車椅子に乗せられて、廊下の窓際に並んでいました。母と反対側のベッドのおばあさんが、「お母さん、退院いいですねえ」と言いました。支えが無いと倒れてしまう人ですが、耳も頭も確かなようです。 「治療が嫌や、言うて帰りますねん」 「いいことです。私も帰りたいけど、一人ですからどうにもなりません」 「母も一人なんですのに、気儘言うてますねん」 「娘さんや孫さんがおられるから、きままが言えます」 姉が毎日病院へ行ってくれるので、私も助かっています。姉も79歳ですので、どこかが悪くて家から出られなくても仕方ないところです。 病室へ戻ると、母はベッドの上半分立てて貰ってほっとした顔をしていました。 「なんやらたいそうなことしてはったで。パチンパチン鋏で切って、長い針金みたいなもんを抜きはった。あんなもん入れられてたら、動かれへん筈や。床ずれもして痛いし……。あんたの酵素、塗っといて」 それまで着せられていた拘束衣のパジャマは、ベッドの足元に丸めてつくねてありました。足首から胸元まで1本の長いファスナーが付いていて、ファスナーの端はマジックボタンで止めてあり、開けられないようになっていました。一人で針を抜きかけていたのをナースに見つかり、そんなものを着せられていたのです。しかも9日間、身体拭いもなしで着たままです。 これは「治療」ではなく、ドクターの「やり方」です。老人の治療は、病気を治すのを目的とせず、老人を楽にしてあげなければいけないと思います。寝返りも自由にできない、お尻が腐って来る、おむつが濡れてオシッコが傷に沁みる、クスリを塗りたくても自分の身体に触れない、お腹がへっても何も食べられない。これは本当に拷問です。 「家へ帰って死んでも、その方がええ」 「そうやなあ。また具合が悪うなっても、この病院は来んといて、言うてはった、センセイ」 「ダレが来るかいな」 「お姉ちゃん遅いなあ」と母が言い始めました。3時に10分前です。 「お姉ちゃんは、4時に来る言うてた」 「なんの用事があるねんやろ」 「介護センターへんぼ連絡やら、車の手配やら、いろいろあるやろ」 私も掃除がまだです。年賀状も書いていません。ナースが計算書を持って来ました。 「49380円やて」 母に見せました。 「あんた、払ろて来て」 「持ってへん」と、身振りでを付けて言いました。 「持ってへんのん!?」 5万も6万も持って歩く習慣はありません。 「お姉ちゃん、遅いなあ。あんまり遅かったら、晩御飯の時間になるわ。自分の都合優先せんと、ここのことも考えんとあかん」 自分のことは全然判っていないのです。 3時半、マミが来ました。 私「お姉ちゃん遅いなあ、遅いなあ、ばっかり言うてる」 マ「用事はいろいろあるわ。みんな忙しい、年末やもん」 マミはおばあちゃんに言いました。でも補聴器を外しているので、聞こえません。 「いま、『支払して来て』、言うてんねんけど」 「あ。私、お金預かってる」 バッグから封筒を取り出したところへ姉が来ました。 「支払、して来たよ」 「20万やろか、30万やろか、言うて心配してんねん」 「要らん心配ばっかりしてるねんなあ」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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