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カテゴリ:生活
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ヘルパーのH野さんは、体格が良いお姑さんの介護を一人でしています。 「『請求書、送ってください』言うたら、黙ってました。送ってきませんわ、請求書」 身体が大きくて重くて、口は達者で歩けない姑さんの介護はどれほど大変なことでしょう。自分の時間が大切な私にはとても出来ません。ショータンのお母さんが64年も前に亡くなって幸いでした。 「家の中で一番偉いと思てはります。うちの娘がなにかしてあげても、『ありがとう』と言わはったことないですよ。私は慣れてますからいいんですけどね、孫にはありがとうの一つぐらい言うても損やないと思います」 「そうですねえ。ありがとう言うぐらい、簡単ですのにねえ」 「言うたことありません。おしゃれな人でねえ、いつもキレイに眉描いてはります。頭のてっぺんにカーラー巻いたり…」 「可愛らしいですやん」 「はははは。」 おむつの世話をしてもらっている93歳のおばあさんが、眉をきれいに描くでしょうか? うちのお姑さんは幸せなんですヨと言ってるのでしょうか? 「私の友達は、認知症の姑さんを5年看てました」 「へええ。5年も!? うちは主人と相談して、『ホーム何処でもいいから空いたらお願します』言うて頼んでますねん」 「県外でも?」 「はい。本人行く気になってますから」 良い人でもやっぱりそういうことになるのです。最後まで看てあげようとは思わなくて普通なのです。でも自分のことが自分で出来なくなったら、おとなしくして「ありがとう。ありがとう」と言っているのがわが為ヒトのためです。 叔父は、家も車も買わず子供も育てなかったので、有料老人ホームへ入所するつもりで貯めたお金の2/3の4000万円を住んでいた門真市に寄付して、心臓病と認知症で入院も出来ず、遠い泉佐野市のホームでコトンと死にました。認知症のせいで、自分が寄付したことも覚えていませんでした。門真市は、お線香代もくれませんでした。叔父のお金ですけどこの4000万円はなんだか勿体なくて、一度市長さんに「法事代でもください」と催促してみようかと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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