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カテゴリ:できごと
3月9日の朝10時過ぎ。
姉から電話が掛かって来ました。 「昨夜、お母ちゃんが『しんどい』言うから先生に来てもうてんけど、『どこも悪いことありません。入院するほどのことはない』言うて帰りはったから、ヘルパーさんによう頼んで帰ってん。それに今、ヘルパーさんから電話あって、先生にまた来て貰うねんと。午後1時や言うから、あんた行ってくれへん? マミにも電話しとくけど......」 「お姉ちゃんは?」 「うちは今、修学旅行で岡山に来てるねん」 「なんの修学旅行?」 「高齢者大学」 またヘンな学校へ行っていたようです。 母の家まで2時間かかるので、支度もそこそこに家を出ました。 大阪駅からいつもは阪急電車に乗るのですが、タクシーにしました。1時30分、住宅の前でタクシーを降りて玄関へ行くとドアが開いています。ヘルパーさんが出て来て、「いま、救急車に乗らはったとこですわ。まだそこにいるのと違いますか?」と走り出て横の道にいる救急車を、「待ってください」と呼び止めてくれました。 救急車のベッドに、母は白い顔をして寝ていました。 「和歌山から来ました」 「娘さんですか。いま、孫さんが、自分の車で先に病院へ行かれました」 「何処の病院ですか?」 「済生会です」 あ。母の嫌いなサイセイカイ。でも救急で入れるのはそこしかありません。昨年の春は西淀川病院で、絶食と拘束衣で半月辛抱して我慢の緒を切り、「病人でないのに病気にするんでっか。検査も治療も要りません」と文句言って、「2度と来ないでくれ」と追い出されたのでした。サイセイカイも4年前に救急車で運ばれ、やっぱり治療拒否でむりやり退院しました。義父が亡くなった病院なので母は、「死に病院や」と嫌っていました。 荒ムシロが敷いてあるだけのハワイの救急車と大違いで、日本のは至れり尽くせりの装備があります。隊員は、忙しく働いている血圧計器を睨んでいます。しかし道路は混んでいてまっすぐ行けないので、所要時間はバスで行くのとそう変わりません。 病院の駐車場に、マミがいました。愛犬ハッチを抱いていて、「ママから10時に電話があってすぐにおばあちゃんとこへ行ったけど、入院するほど悪いと思えへんかった。あたし、2時に約束があるねん。あとでまた来るから」と、すぐに何処かへ行ってしまいました。 救急室で看護師が、「患者さんとの続柄」を訊きました。 「私は次女です。住いは和歌山です。母の保護者は長女で、住吉区に住んでいます。81歳です」 「長女さんの配偶者は?」「あります」「子供さんは?」「二人。男。女。この女の子が、あとで来ます」「次女さんの配偶者は?」「あります」「子供さんは?」私の母とこの子供はなんの関係もないし、東京とハワイに住んでいるので、「ありません」と言っておきました。 ケアセンターの名称と電話番号と、オーナーの名前を訊かれました。 「いつも来てくれはるヘルパーさんの電話番号がありますから、ここへ訊いてください」と携帯の電話帳を見せましたが、「あとで孫さんに訊きます。控室の方でお待ちください」と言いました。 母が診察と処置を受ける間、控室で待ちました。お茶を買って、持っていたカステラを昼ご飯の代わりに食べました。 3時ごろ、またナースが来て、「ケアセンターの名称とオーナーの名前」を訊きました。 「この人に訊いてもらったら、みんなわかります」 ヘルパーさんの電話番号を教えました。暫くすると別のナースが来ました。 「お孫さんは何時に来られますか」 「つい今、メールで『もうすぐ行く』ということでした」 と言っているところへマミが現れました。ナースが言いました。 「ケアセンターの名称と、電話番号と、オーナーの名前を教えてください」 マ「あ。知りません」 私「さっき、ヘルパーさんの電話言ったでしょう。ヘルパーさんに電話したら解りますやン」 ダイジョーブなんだろうか? この病院......
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