大晦日、一日がかりでお節馳を作りました。毎年一人で、大小の3つ重ね重箱に作ります。子供が小さかった頃も、大きくなっても、二人だけになっても、同じように作っています。
買って来た煮物やかまぼこも入れて20種類ありますが、朝昼晩食べて、二日の夜には少々飽きました。
「お茶漬けにする」とか「玉子かけご飯にする」とか「お餅入れないお汁だけ」とかショータンは言います。
「来年はもう作れへん。すき焼き三日間」
と宣言しました。あ----------昨年も、こう言った--------筈です。
今年は文字にしたから、今年の大みそかは覚えているでしょう。
お節馳料理やお雑煮を食べたからいいことがあるとか、食べなかったら病気をするなどということはないでしょう。でも、「肉を食べると肉食い…にくいと言って、つまらないことで人に憎まれることがあるから、お正月3が日は肉を食べてはいけないのです」と私の祖母は言っていました。しきたりというものは、大体こじつけから始まっているものですから、まあ信じるのもいいでしょう。しかし、魚も魚肉なのに、魚類は良くて牛肉だけいけないというのもおかしなことです。
そもそもお節馳というのは、女が考えたことで、三度三度の食事の支度をさぼってのんびりするための方便です。現代は、お金さへ出せば何処ででも豪勢なお節馳料理が買えますが、仕事を持っている人なら兎も角、お節馳を3万円も5万円も出して買ってお正月を祝う主婦は、家でおかずを作らない女と決まっています。そんな奥さんを養っているダンナさんは、きっと前世で借りがあったのでしょう。
結局、4日の晩現在、整理したものが大きいお重に一段だけ残っています。