テーマ:障害児と生きる日常(4430)
カテゴリ:療育と構造化
最近、発語がふえたげん。
どうしても、この話題がかかせなくなっている。 言葉神話に縛られているようで・・・ ちょっと嫌なんだけど・・・ やっぱり、書きます。 最近、げんは簡単な挨拶や単語は言葉に発している。 この前のショートスティの件もそうだし 学校でもお店でも。 げんは教えている言葉も教えていない言葉も 自分の中であたためて、やっと今外に出しているようだ。 言葉が出てなにが変わったと言えば 私たち大人がとても喜んだ。 やはり、単語くらいは言葉ででているほうがいいんじゃないかな? それに、げんの言葉は確実にツールとして 使えている言葉で、ただのオウムではない。 しかし、言葉を発することはげん本人は 大変苦しいことなんじゃないのかな? と思い、生活自体にはあまり言葉がけは 取り入れていない。 しかし・・・ よくげんを見ていると ある発見があった。 げんは、げん自身が発語を楽しんでいるようなのだ。 自分の言いたいことを言葉に出す。 そして、それが通じる。 単語で声をかけられる。 それに応じる。 それがあっている。 そういうときに、なにか、こう 達成感というか? とても、うれしそうな顔をするのだ。 もちろん、今までとおり、構造化した 普通の自閉症の生活を続けるわけだけれども そうして、言葉で発信しているげんに対して 私は、無視するのではなく やっぱりいつもと同じように 喜んで受信してもいいんじゃないかな? 気持ちを伝える手段は 1つではない。いっぱいあるほうがいいに決まっている。 TEACCHだって、かたくなに言葉がけを拒否する療育方法ではない つかえるものは柔軟に受け入れる。 それが療育なんだ。 と最近思ったのですが・・・ まだまだ、いろいろな意味で揺れいている母でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/03/01 11:17:18 AM
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