テーマ:障害児と生きる日常(4430)
カテゴリ:療育と構造化
子育てにおいて一番やってはいけないというか・・・
やると惨めになるのは他の子と比べるということ。 今日の光とともにの再放送で 光くんのあさがお学級にことみちゃんという 受動タイプでおとなしい自閉の女の子がやってくる。 彼女はまるっきり発語しないのだけれども おとなしく、かわいい。 絵が上手でそれが学校全体で話題になる。 光くんのお母さんはことみちゃんが光くんとは 全然違うタイプの子だとわかっているんだけども 絵を描かせてみたり 同じジグゾ-パズルばかりやっていると成長がない。 と言って隠してしまう。 わかるなあ、この気持ち。 光くんのママはことみちゃんを 「かわいいね。かわいいね。」 と連発する。 おとなしくてかわいい。 それがうらやましいのだ。 私もかつてそんなことがあった。 げんはちょっと目を離すとすぐどこかに行ってしまったし 「うーうー」「あーあー」とうるさい! すぐたたくし 松風園の中でも軽度の子には 「げんちゃんうるさい!」 「げんちゃん、あっちいって!」 とよく言われたもんだ。 そういうことを言うのって 最初は悪気がないんだと思っていたけど 実際は親が家で言っていることを真似しているらしい。 ということに後で気づいた。 私は飲み会にもランチにも誘われなかった。 「げんちゃん大変だもんね~」 とかなんとか言われて。 そのときに 「ふんだ!うちのげんは全然大変なんかじゃないんだ! 言葉出ていなくてもわかることがいっぱいあるんだ! 言葉なんてあればいいもんではない!」 と心の中でよくおもったもんだ。 某ニュース番組で自閉症の小学2年生の男の子が イルカにのるという合宿に行って 急成長をとげる。という番組をやっていた。 ばぁばがそれをみていて あとで電話をかけてきた。 「あの子さあ、ホワイトボードに たのしかったって書いて たのしかったよ。って言ってたよね?」 と何度も言った。 ばぁばはいつかげんがおしゃべりすることを夢見ているのだ。 夢を壊すようで悪いのだが 自閉の人で一生しゃべれない人など珍しくない。 たとえ言葉がでていても会話にならなければ意味をなさないわけで・・・ それでもやっぱりしゃべっているほうがいいのかな? 「あーあー」っていうよりも普通っぽくっていいのかな? 暴れる子よりも暴れない子の方がいいのかな? 自分の要求をあまりださないで、じっとしている子の方がいいのかな? でも、た・ら・れ・ばなんてないのさ。 げんはげん。 一生懸命育てれば育てるほど ジレンマは生まれる。 「どうして私はこんなにがんばっているのに この子は思うように成長してくれないの?」 でも・・・それは仕方がないこと。 きっとばぁばも私が子供の頃、きっとそんな風に思っていたに違いない。 障害のある子も、ない子も同じだよね? そう。私も「普通の子育て」している・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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