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げんが私のドジのせいで1時間も歩かされたことをだんなに報告すると
「げんはさ、松風園で同窓会しないの?」 と言い出した。 「なんで?」 「げんが10年後、こんなにいろいろできるようになったことを みんなに知って欲しい・・・」と。 げんはこの4~5年で本当に成長した。 でも、別に、彼が変わったのではなく 彼に関わる人間がちょっと工夫して接するようになっただけで たぶん、彼の潜在的なものはなにも変わっていないんだと思う。 そりゃあ、他の子をみて模倣しているから日々成長している。 昨日だって、 車が来たときに自然に道の脇によけて車が通り過ぎるのを待っていたのを 見たときはすごくびっくりした。 でも、それは普通の小学2年生ならやって当然のこと。 つまり、げんはもともと普通に成長する力をもっている。ということ。 ただ、それがちょっとスピードが遅く 言葉だけでは理解しづらいということ。 それはげんだけでなく きっとすべての自閉症児、障害児に言えることである。 でも、言葉は絶対的な成長のバロメーターであることは間違いない。 どんなに自分のことができるようになっても お手伝いができるようになっても 文字が読めるようになっても 言葉を発することができないげんの評価は極めて低い。 それが現実である。 それでもパパはずっとげんの評価が低く 低いままで松風園を卒園したことが とても悔しいんだと思う。 パパはいつも 「げんはうちの長男だな!」 といって誉める。本当の長男には悪いが げんは家の中のことがよくできるし、 場の雰囲気が読めるのは げんの一番すごいところだ。 それをみんなに知って欲しいんだと思う。 「TEACCHを取り入れて成長した子が どんなに社会に適応できるようになるか? みんなにわかって欲しい。」 とよく言っている。 彼自身はTEACCHの勉強会には一度も行っていない。 だけど、いつも私が勉強したことを彼に伝えている。 そして、私たちなりに一生懸命考えてげんに接している。 だから今のげんがいる! ということをみんなに理解して欲しいんだと思う。 「だけど・・・・ 子育ては競争じゃないから」 私はパパにそう言った。 だって、競争したらげんは絶対評価が低い。 さっきも言ったように話せないということは すごいハンディキャップである。 未だに、「カードがなかったらなにもできないじゃない!」 とTEACCHを批判する人も少なくない。 だから 「げんが楽しければいいんだよ。 げんも他の兄弟も楽しく過ごせればいいんだよ。」 と私は自分に言い聞かせるようにパパに言った。 だって、私自身が競争なんてもうまっぴら!って思っているから。 言葉がでないことで 落ち込んで凹んで泣いて泣いてすごく辛かったことがある。 もう、そんなくだらない葛藤はしたくない。 生きているだけでまるもうけ! 生まれてきただけでエリートなんだから もう、これ以上は望まない。 いや望んじゃいけないのさ! と思いながらも、 毎日「はあ、はやくこれができるようになってくれないかな?」 と愚痴ってしまう。はははは。 矛盾しているよね? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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