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げんが私たち夫婦の子としてやってきたのには
理由があるのか?ないのか? もしあるとしたら・・・ それは私たちに「教える」ために来たのではないのでしょうか? げんは自閉症だけど がんばりやさん。 たまに頑張りすぎて大変なことになるけど。 それをセーブさせるのが私たちの役目。 げんは言葉の概念が全くないそうで。 普通の子が自然に聞いておぼえる言葉を まるっきり理解できない。 今でこそ「トイレ」とか「バス」とか 簡単な言葉は通じるけど それは何度もカードでやり取りしている中で 彼ががんばったから習得したもの。 私がげんだったら・・・ こんなに頑張れるのかな? 普段頑張り過ぎないように なるべくカードやスケジュールを与える。 別になくてもOKなんだけど あれば安心する。 こうやってカードを使うことを 他の兄弟はみている。 足の不自由な人が車椅子に乗るように 目の不自由なひとが杖をつくように げんはカードを使う。 「言葉を覚えたらもうカードはいらないね」 と言う人がいるけど。 あれば安心。 世の中にはいろんな人がいる。 いろんなものに助けられながら いろんな人に助けられながら でも、頼ってばかりではなく 自分でできることは自分で。 障害者とか健常者とか線を引かずに みんないっしょに生きていく。 私は、げんにいろんなことを教わった。 私は最初、げんを特学に行かせるのは絶対反対だった。 だって、いかにもウサギやにわとりのように 健常の子を癒すために 健常の子が成長するために 障害児をみさせている。 ような感じで、すごくいやだった。 でも、違うよね。 私だって、特学の子と遊んでいたし それをなんら不自然に思っていなかった。 偏見も隔たりもなにもなかった。 しいてあるとすれば それは大人にあるのかもしれない。 私はある理由でげんを産む寸前に 「どんな子が生まれても必ず愛せる」 と確信した。 だから、今、やっぱりげんが生まれてきたのは 偶然でなく必然なんだなあ。 と感じる。 かっこいいこといっても 実はすご~く凹んで 復活したからこんなこと言っているのさ。 ひとはひと。 いいたいことをいうひとにはいわせておけ。 頑張れ私、頑張れ自分!! なんてね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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