カテゴリ:療育と構造化
どうやらげんと私はがんばっているように見えないみたい。
あまり好きでないお母さんがいるんだけど そのお母さんは、なにかにつけて 「げんちゃんはいいよね~ 知的に低いから」という。 知的に低いとなんにもわからないと思っているんだと思う。 しかし、どんなに知的に低くても 言葉がなくても、気持ちはある。 その気持ちが表現できない分 げんみたいな子は難しいのだ。 なんにもわからないからなんとなくできる。 と言うこともあるが げんの場合、知的に低くても認知が高い。 そんな子は成長すればするほど大変になっていく。 しかし、世の中の人は自閉症という障害をほとんどの人が知らない。 だとすると、げんは自分の障害を理解されない世の中で 理解されない状態で生きていかなくてはならない。 世の中が変わらないのだから自分がかわらなくてはいけない。 私は、げんになるべく私以外の大人とコミニケーションをとる機会をつくっている。 その時に、「げんはこういう子なのでこうして下さい。」 とは決して言わない。 もちろん、サポートブックを渡したりはするけれど げん本人にはスケジュールを渡したりするけれど 私のやりかたは、あまりお願いしない。 なぜなら、げんには人に合わせた対応をとる能力がある。 だから、相手の感じをみて 自分で交渉する努力をしてほしい。 それは今までの私の経験から、感じたこと。 どこに行っても障害について理解したり受容してくれる人は ほとんどいない。 世の中は普通の人が前提なのだ。 だから、いかに自分が普通の人に合わせるか 自分も無理しない程度に世の中に溶け込む努力。 のんびりやのかめなげんには小さい頃から地道にやっていくしかない。 そのやりかたは決して強制ではない。 自分の意思で自分のペースでやらせる。 しかし、それが他の人たちにはがんばっていないようにみえるみたい。 「げんちゃんはいつになったら電車に乗れるのかね?」 「太りすぎだとよくないよ!やせなさい!」 「甘やかしすぎなんだよ。」 などなど。同じ境遇の母親の中でも差別があり げんはいつも底辺でいなくてはいけない。 たまに、げんの家での様子を言おうものなら 「でも、げんちゃんは字もかけないし、言葉も話せないでしょ!!」 と逆に怒られる。 知的に低い、がんばっていない親子はだまっていなさい! という感じだろうか。 まあ、そんな人ばかりではないが。 昔、三男のプールの付き添いで げんを連れて行ったことがある。 周りはみんな健常児。 げんはアイスを食べたりして まあまあおとなしくしていた。 そのとき、知り合いのお母さんに 「こんなこと言っちゃ悪いのかな? でも・・・たぶんすごく大変だと思うんだけど 全然大変そうにみえないよ。」 私は正直、この言葉がうれしかった。 そう、障害を持つことはとても大変だと思う。 だけど、それはたまたまであって なにもそれに悲観的になることはなく それなりに幸せに生きることはできると思う。 障害を持っているから特別ではなく 障害を持っているから特別扱いしてもらうことなく 自然に楽しく生きられたら・・・ っていつも思っている。 でも、それは逆にいえば すごくがんばっていない、気楽な感じにみれるらしく すごくがんばっているお母さんたちにはおもしろくないのかもしれないね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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