道徳教育と躾
小手先ではもはやどうにもならず日本の美徳であり魂であった「道徳教育と躾」を十分になされないままに、戦後「偏差値教育」や「ゆとり教育」がなされた。生活環境の方も新三種の神器、新々三種の神器などで便利さと快楽を享受し、その極みであるコンビニの普及や携帯電話、インターネットなどが拍車をかけた。 「道徳教育と躾」という良識を持たずに、利己主義だけを身につけた大人たちだらけになってしまった日本。結果はご存知の通り、総理大臣でさえ手に負えず投げ出し。そうかと思えば国旗を背に大言壮語していた全日本の監督もその真の重みもわからず謝罪のみで責任もとらない。自殺者は世に溢れ、親が子を子が親を殺すのはもはや日常茶飯事。節操のないお笑いに癒しを求めるような始末。そんな乱れが皇室まで入り込んでしまっている。これはすべて 「道徳教育と躾」の不十分さが原因である。本来これは親が子に教えるのが理想であるのだが、その親がまずその教育を受けていない。戦後の骨抜き教育を見直し、再教育をしなおさないとどうしようもない。そのためには荒業である徴兵制、雲水や尼寺などを経て慈善活動などへの取組み、戦前まであった家父長制度の見直しも必要である。家族仲よく隣近所が助け合えた制度なら介護事業など無用のもの。 日本が本来あるべき姿に戻らなければ、このままでは諸外国のブロイラーのようなものである。諸外国からは好かれるだけではなく 、恐れられ嫌がれることも時には必要である。