18日の火曜日
義父が73歳で他界しました
3年前に肺ガンが見つかり、その時余命6か月と診断されましたが
その後精神力と鍛えた体でなんとか持ちこたえてきました。
1ヶ月前から入院し、そのまま帰らぬ人となりました。
カミサンは時々帰ってお義母さんに代わって看病していました
(カミサンはホームヘルパーの資格を持っています)
急変を聞き、カミサンは車飛ばして駆けつけて
声をかけた時まだ意識があり「お~」
が最後の言葉だったそうです。
義父は瀬戸内海の漁師でした。
カミサンとの結婚のお許しを得に、ご挨拶に行ったとき
大変喜んでいただいて、嬉しそうにされていたので安心したのを
まるで昨日のことのように思い出します。
カミサンと帰るたびに
「こんなもんしか用意できんけんの~」と言いながらも
活きたままの車エビやシャコ、蒸したワタリガニや、焼きアナゴ等々 昨晩漁に出て自分で獲った瀬戸内の海の幸をこれでもかと御馳走していただき
一緒に酒を飲みました。
いつも本当に温和で、元気パパが美味しい!!と食べるのを とても嬉しそうに、にこにこと見ては微笑んでいました。
通夜の読経が終わって、カミサンとお義母さんそして喪主の義弟に申し出の上
地元のご兄弟やご親戚の方々の水入らずの会食はご遠慮申し上げて
失礼させていただき
ホテルに帰って、フロントで近くの美味しい寿司屋を紹介していただきます。
娘たちと一緒に寿司屋のカウンター
ご主人にお願いして瀬戸内海の獲れたての魚を握ってもらいます
地酒の熱燗を頼み、お義父さんが愛した瀬戸の海の恵みが カウンターに並びます
飲む相手のいない手酌の杯がひたすら進みます
「こんなもんしか用意できんけんの~」
ふと、どこからかお義父さんの声が聞こえてきたような気がしました。
お義父さんどうか安らかにお眠りください。
あなたの娘をずっと大切にします。
そして遺伝子を受け継いだ娘たちをしっかりと守っていきます。