今は亡き別府鉄道の混合列車
友人のブログをいくつか見ると、わたくし同様、若かりし日に撮ったモノクロやカラーの写真をデジタイズされています。ところが、今月は一気に更新回数が増えていたりして、これも巣籠りの影響なのかな、と勝手に想像しています。でも、それ以上に懐かしさの方が勝っているのかもしれません。だって、わたくし自身がそうなのですもん。ああ、こんなのがあった。ああ、このときはこうだった、ということが次々に思い出され、それがブログ更新につながっているのでしょう。 で、時計の針を今一度、過去へと巻き戻します。38年前の1982(昭和57)年4月に撮影した、今は亡き別府(べふ)鉄道のカットをこれから数日ご覧いただきたいと思います。こちらは、カラーポジをデジタイズしています。 別府鉄道は、かつて兵庫県西南部で鉄道事業を行っていた会社で、創業者が経営していた製肥所の肥料製品を積み出すための鉄道として、1921(大正10)年に野口線が、1923(大正12)年に土山線が開業しました。貨物輸送が主だったため、旅客輸送は近代化がなされず、最後までクラシックな気動車や混合列車がのんびりと運転されていました。1980年代に入り、国鉄貨物営業縮小の影響を受け、土山線を経て山陽本線土山駅で国鉄線へ受け渡す貨物輸送ができなくなったことが直接的な原因となり、1984(昭和59)年2月1日に鉄道全線が廃止されました。 わたくしが別府鉄道の撮影にいったのは、廃止の約2年前ですので、まだ全廃の悲壮感は漂っていなかったと思いますが、残っている写真を改めて見直しても乗客の姿はほとんど見られず、いずれ廃止が必至となることは容易に想像される状況です。 ところで、DD50が牽くこの混合列車を撮影した場所は全く思い出せません。おそらく石の鳥居を見つけたので、それと組み合わせて撮影しようと考えたのに違いないのですが、列車が通り過ぎるのを待つ地元の方々が良い味を出しています。スーパーカブや自転車に同乗しているお子ちゃまも、今や40歳を越えた中堅世代になっているはずです。改めて時の流れを感じます。 撮影地:別府鉄道 今日4月30日は、図書館記念日(日本図書館協会、1971年)、みその日、そばの日(毎月末日)だそうです。 図説 別府鉄道【電子書籍】[ 安保彰夫 ]