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テーマ:心のままに独り言(8840)
カテゴリ:野球
今日は朝から晴れー 講習会が有って朝から青森市まで片道40Km 車で走りだして窓全開で気持ちが良かったのは5分間 暫く走行したら暑~エアコンON 日中はエアコンの効いた会議室に監禁?されてて解らないけど夏日だったらしい? 珍しく数字とにらめっこして電卓をパタパタ 2回計算すると答えが違う?ってほど勉学から離れてたって事 次いで漢字が出てこない事に気が付いたキーボード依存の弊害、、、です。 電卓での計算や漢字のレポート書いても立派にITスキルの習得手段でした。 仕組みを理解して使いこなすのはアナログな作業だったのです。 併行型サバ―を地方から駆使して高度な作業をコナすための勉強だけど 天文学的数字のデーターが5秒ほどで結果が出るのに驚く?? スーパーPCを遠距離から誰でも安全に動かせるソフトの進化も驚き!! 個人データなども絶対に解析されない仕組みなんだそうです 1年もかからずに更に進化したソフトになるので秋に又講習だそうだけど 人間の能力が付いて行けるのか不安が、、、(私だけ落ちこぼれ?? って不安が残りつつ明日から手探りの実務、 まあ結果が画面に出たら喜々となると楽観的です それで今日6月23日は阪神ファンなら知ってるハズ 伝説(長嶋ファンはそう言います)の試合 天覧試合 今日で50年のメモリアルデーだそうです。 自分じゃ知らない時代の歴史だけど 当時の映像を見るたびに9回裏さよならHRはファールって思いこんでます! 最近何故かポールをかすめる打球を放送しないけど、、、 多分今の映像解析で結果を報じると伝説に水を差す結果にって思いこんでます。 野球ファンの伝説を壊さない気使いで良い事だと思いますよ! でその歴史を作った当時の選手達の多くが元気にテレビでエピソードを語ってました。 皆さん男として良い顔して年齢を重ねてます、、、 しかし残念でならない1人の男 伝説の試合の阪神の同点時点での中継ぎピッチャー村山実さん 後に阪神の監督に就任、再び伝説を作ったの記憶する人も少ないらしい 以下が伝説の反撃編 1989年6月25日、甲子園での阪神対巨人戦、岡田彰布がビル・ガリクソンから左翼ポール際へ劇的な逆転満塁本塁打を放ち阪神が勝利するが、天覧試合からちょうど30年目の日で、同じ左翼ポール際への一発でスコアも5-4と裏返しとなり、しかもこの時の巨人監督が天覧試合で完投勝利した藤田元司であったことから、岡田が村山監督の仇討ちを果たした形となった。試合後「今日は岡田に尽きるが、若いの(和田、亀山)がよくつないだ。天覧試合と同じ日?そりぁうれしい、気分が全然違うよ。」とコメントした。1989年オフ退任。 晩年は凄く残念で心苦しい思いをさせたとファンとして悔やまれます。 1990年からは朝日放送の野球解説者となる。1993年野球殿堂入り。現役時代から実業家の資質に長けており、村山自身、芦屋市のマンションを購入して自分自身の会社の本社にしたというエピソードは有名である。 その自宅マンションは、阪神・淡路大震災で被災し、しばらく自家用車で寝泊りをする生活をしていた。1998年8月22日、直腸ガンのため死去。61歳没。葬儀の際に村山の棺を乗せた霊柩車は、参列した大勢のファンの「六甲おろし」の大合唱に送られて斎場を後にした。なお、出身校の尼崎産業高校には、2004年に銅像が建てられた。 なので今日試合が無いのか残念でならない 願わくば毎年この日は必ず阪神VS巨人戦を恒例にして欲しい! 交流戦よりも喜ばれると思います(後楽園のぶっさいく屋根も取り払えば良いのに) 本日は村山さんの為の日記です巨人ファンのクリックはご遠慮下さいって一応書いときます にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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